
10月になって、やっと秋の気配を感じるようになりました
そろそろ青果店の店頭にも秋の味覚が揃いはじめ、
ちょうど柿の実が目立ってきています
私が幼少期を過ごした家は戦前に祖父が建てたもので、かなり広い庭があり、
イチジク、みかん、甘柿、渋柿などの果実の採れる木が植わっていて、
実が熟したらそれらを採り、旬の味を楽しみました
戦時中に病で亡くなっていた祖父の出自が和歌山の山深いところでして、
みかんも柿も郷から移植したほぼ野生種のものでしたので、実は店頭ものよりかなり小振りでしたが、
それでも十分に甘味が凝縮されて、おいしくいただいていました
祖父を知る親族が存命の頃には、毎年その年に採れたみかんや柿を
和歌山から箱一杯に詰めて送って下さっていました
幼い頃からその味にずっと馴染んでいましたので、
私にとっての果物の定番は、今でも夏のイチジク、秋の柿、冬のみかんとなっています
写真の富有柿は、昔の倍ほどの大きさがある大ぶりで、
値段も1個100円ほどしてしまいますが、出回ったら一度は口にしないと落ち着きません
ということで、今年も早速店頭に並んだのを買ってきて旬の味とカリッとした歯触りを楽しみました
硬派の報道系中心のものから芸人が騒ぐだけの軽薄な時間つぶしまで、
その内容は千差万別であるが、そこで共通して感じるのが発音の違和感である
ここ何年かで 『さしすせそ』 が 『しゃししゅしぇしょ』 と聞こえる機会が増えている
これが役者の訛りによる個性だとか、芸人の話芸のひとつであるとかなら、まだ許せるが、
アナウンサーの、それも局アナの発音となれば、チト話が違うと感じるのであります
原稿読みで 『早急』 を 『そうきゅう』と読み違えるのなどもっての外だが、
訛りとも言えないタメ口のような発音を平然とされると、心穏やかでない
最近では局アナがバラエティショーのキャストのような役回りで出演することも多くなり、
そこでの王道はいわゆる 『ロケの食レポ』、軽薄な語彙力で何とか盛り上げようとする努力は買うが、
局アナのプライドでその発音にだけは拘って欲しい

このヒトは 『おいしい』と言ってるつもりだろうが、 5回に3回は 『おいしぇい』 と聞こえてしまう
無機質な原稿朗読では美味しさが伝わらないと普段の会話に寄せてアクセントをつけているのだろうが、
その意欲は評価するものの、身内だけの雑談レベルまでのタメ口にまでは持っていって欲しくない
これは方言、ふるさと訛りに類する寛容度とは全く異なる不特定多数の視聴者に対する礼節だと思う
私の中高生時代に四国の某地方出身の先生がいて、どうしても
『全部』 が 『じぇんぶ』、『全然』 が 『じぇんじぇん』としか言えないで苦労されていたが、
対面で授業をしている中での人柄、愛されキャラで何の問題もなかった
しかし、それとこれでは話が違う、という加減が分かって貰えるかなぁ・・・・
一息つけるかという時にお盆を迎えました
概ね8月12~15日がお盆の期間とされていますが、
我家では毎年その直前にお坊さんの棚経回向でお迎えしておりました

今年は特に昨秋天寿を全うした母の初盆でしたが、
集えるはずの親族がことごとく東京圏在住でして、
コロナ禍での移動自粛で来阪を躊躇、寂しいお盆のお迎えとなりました
また、大阪でも感染拡大で緊急事態が発令されましたので、
棚経回向も中止となってしまいました

とまぁ、何ともなんともはや、泣きっ面に蜂の初盆となりましたが、
仏壇前のフォトスタンドの皆さんで母を賑やかに迎えてくれていることでしょう
この中には施設入居の母に面会に来て下さって歓談していただき、
残念ながら今年鬼籍に入られた母の古いお友達もいらっしゃいます
今、外は晴れ間もあって明るいものの、
台風9号崩れの余波でゴーゴーと風が舞い、結構騒々しくなっています
この先、お彼岸に一周忌に納骨に、と予定も組めません
どうにも落ち着きませんわ

近畿地方の梅雨明けからそろそろ2週間、
いきなり真夏の酷暑に突入し、ほぼ毎日が猛暑日で熱帯夜、
時折ゲリラ雷雨があるものの、炎熱に晒され続ける毎日です
いきなりの夏本番に身体はヘロヘロであります
ここでへばってはイカンと何とか規則正しい3食を心がけて、
朝は惣菜パン、昼は麺類を軽く摂り、夕食は蛋白摂取を意識しております
それでも食は細りがちで、ビタミンやミネラルは欠乏気味です
そこで体調管理のために間食で野菜ジュースとバナナを補充しています
しかし、このご時世と炎熱で外出もままならず、運動不足は否めず、
結構水分補給をするので体重は維持か少し増量気味
・・・・・これは水太り? なんて懸念しております
ここに来てまたもや緊急事態宣言が発令となり、
お寺さんからは、亡母の初盆だけど棚経回向もやむなく中止の連絡がありました
今月も炎暑下でのお篭り生活が続きそうです
この猛暑は日本全国まんべんなくとか、読者の皆さま、いかがお過ごしでしょうか
当地では連日最高気温が35℃超え、我家は更に気象庁の公式発表より1~2℃高いレベルで推移しています
最低気温も連日25℃超えの熱帯夜で、朝8時には気温30℃を越え、
夜間床につく頃になってやっと30℃を下回る状況ですので、在宅時はエアコンをかけっぱなしです
我が家の北側には電車の高架橋が走っておりまして、その線路沿いの道路に面して建っております
なので、そのコンクリート橋脚に日中の照りつける太陽熱を蓄え、陽が落ちてもそこから熱気を放散する、
その繰り返しの毎日が、夏場の絶え間ない熱気となっておるのです

ならば冬場はひょっとして、と思うのですが、そうは問屋が卸してくれません
日中蓄熱する間もなく夜間の底冷えで氷柱のように冷え切り、日中はその冷気放射で寒いのです
かつてここに住み始めた頃には線路が地平を走っておりました
今よりは夏の暑さもまだマシでしたので、蓄熱の炎熱を感じることもありませんでしたが、
錆まみれの線路のバラスが熱くなり、時折木製だった枕木が耐えきれずに煙を出し始めることがありました
年に何度かは、夏場に駅へ電話を架けて 『線路燃えてるよぉ』 と連絡していました
また、当時の電車は公称一両40トンですが実質70トンはあろうかという鉄の塊、
それが駅への進入前のブレーキを我家の前でかけるので、火花と夥しい鉄粉が舞い、
外干しの洗濯物はきちんとはたかないと取り込めず、
ガレージの車はボディカバーをしておかないと鉄粉が塗装に刺さって黄ばんで艶消しになります
我が住宅地では白い車は御法度、アイボリーがいつしかサンドベージュに変貌しました・泪
とまあ、暮らしにはなかなかに難ある環境ではありますが、
駅近で買い物に便利という地の利は何物にも替えがたい価値がありました
しかし今、現役を引退し通勤の用がなくなってしまいましたので、
この地に拘る理由も乏しく、悩むところであります

6月30日はみなづき(水無月)を食べる日で、本来は旧暦6月晦日なのですが、最近は新暦で食べることも多いです
これは京都を中心に残る「夏越祓(なごしのはらえ)」という行事に由来し、
「夏越祓」は「水無月の祓い」とも言われ、1年のちょうど折り返しにあたるこの日に
この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事です
この「夏越祓」に用いられる京和菓子が「みなづき(水無月)」です
みなづきは白の外郎生地に小豆餡をのせ、三角形に包丁された菓子で、それぞれに意味がこめられています
みなづきの上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しています
旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」と言われ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました
この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました
当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられており、宮中臣下にも氷片が振舞われたようです
しかし、6月を 『水無月』 と書くように、庶民にとっては夏の冷水はとても貴重で、
ましてや氷などは噂で聞く程度、簡単に食べられるものではありません
そこで、宮中の貴族にならって氷をかたどった菓子が作られるようになッたと伝わっています
近年のみなづきは、氷をイメージした白外郎の台に限らず、抹茶の緑や黒糖の黒い台のも見かけます
美味しい食べ方にはちょっとコツがありまして、
少し冷んやりした夏の食感を楽しむのが一番なのですけど、冷やしすぎると外郎が固くなり、食感が悪くなります
しかし、今の時期の常温のままですと餡の甘さがくどくなり、味と食感を損ねてしまいます
そこで、冷蔵庫で冷やして保管し、食べる20分ほど前に冷蔵庫から出して室温に少し馴染ませ、
冷んやり感も残しつつ外郎の軟らかさも楽しめるのがベスト、「あぁ、みなづきやねぇ」 と楽しめます
以前は、6月末が近づくと、祖母も母も「ぼちぼちみなづきが(店に)出てきてるかなぁ」とそわそわしていました
今日、菓子屋の店頭で見かけましたので、そんなことを思い出しながら買ってきてしまいました
取り敢えず仏壇に御供えし、あとでお下がりをいただく算段にしています

今日、予定どおり新型コロナワクチンの2回目接種を受けてきました
1回目接種の時と同様に接種プロセスはスムーズで、事後副反応もありませんでした
当日~3日間くらいの間にきつめの副反応が1回目より出やすいと聞いておりますので、
特に今日、明日は注意して過ごしたいと思っています
これで個人的にはひと安心というところですが、
罹患したり、重症化したり、人に遷したりというリスクがかなり軽減されたとは言え、
リスクゼロを担保されたわけではなく、羽目を外していいとは決して言えません
気持ち的には正直落ち着きましたが、普段の生活は今までどおり、
当面世間が落ち着いた状況になるまでは慎重に暮らしたいと思っています
≪ 2021.6.13 15:00 追記 ≫
新型コロナワクチンは2回目の副反応発生頻度が高めと脅されていましたので、
些か身構え、気合を入れて静かに過ごしていたのですが、
翌日の午後、丸1日経った頃前後数時間に少し注射したところを押さえたら鈍痛を感じる程度、
反って1回目ほどではないと感じる程度の軽微な違和感しかありませんでした
他に発熱、悪寒、倦怠感など感じることもなく、2回目接種から丸3日経過しました
若い人ほど出やすいと言われる副反応らしきことを感じなかったのは、
拍子抜けするとともに、私が爺世代真っ只中間違いないことの証しか、と苦笑しております
遂に我家にも電話が架かってきました。
すぐに 「怪しい!」 と感じましたが、手口にも興味が湧いたので、
危険領域の一歩手前で引くことにして、暫しお誘いに暇つぶしのおつきあいをしました
コトの顛末は以下のとおりです
昨日夕方18::15に固定電話に外から電話が架かってきました
電話帳非登録のナンバーでしたので、普段はそのまま留守電にして受けるのですが、
市外局番が03(東京)で、電話を受ける心当たりがあったためにそのまま受話器を取りました
「私、市役所保健課の井上と申します、○さんのお宅でよろしいでしょうか」
・・・私の居住地(市区町村レベル)、私の姓まで正確に把握していることが分かる
落ち着いて丁寧な40歳前後と思われる男性からの問いかけでした
・・・ここで第一の疑問、高槻市役所には健康保険課や介護保険課はあるが、無印の保健課は存在しない
・・・第二の疑問、役所の職員が公務で電話しているのに発信地が東京(03)である
続けて用件は
「平成30年から令和2年までの3年間、累計負担医療費の見直し精査をし、還元が受けられます」
「1月11日に市役所から緑の封筒で申請通知書が届いているのを確認しております」
「その確認返信をいただけておりませんので、ご連絡を差し上げています」
・・・第三の疑問、届いているのを確認ということは配達記録か簡易書留だが、、、そんなのは記憶にない
『受け取っていない』と応えると、「ポストのチラシなんかに紛れて捨てちゃったんじゃないですか」とたたみ掛けてくる
私は全ての公的通知を保管しているので、その束を時系列で繰るが、そのような通知はなかった

ところが何度伝えても「チラシなんかと一緒に間違って捨てちゃったんでしょ」と言い張る
・・・第四の疑問、市役所の担当者にしては東京弁訛りのアクセントが気に障る
埒が開かないので必要な手続内容を聞くと、期日を過ぎているので市役所の窓口では手続ができない、と
・・・第五の疑問、公的申請の手続が市役所の窓口でできないはずはない
更に、「全て銀行が手続代行するので、明日午前中に銀行に行けるか」との問いかけがあったので、
『行ける』と応えたら、大手の銀行名を並べて挙げ、取引銀行があるのをを確認し、
「明朝8:30~9:00の間に案内電話をするので指示に従って欲しい」
「その後、午前中に○×銀行本店営業部から電話で指示があるのでその手順で手続きして欲しい」
と話だけして一旦電話を向こうから切った
・・・加えて、役所が還付の事務代行を一切銀行任せにするはずがない
ここまで還付金額などの金銭の話題が一切出なかったのは、相手を油断させる手はずになっているからだろうか
落ち着いて情報を整理すると、先に挙げた5つの疑問の他に
緊急でもないのに市役所の公務時間(9:00~17:15)外に敢えて連絡をとるようにしている
こちらからの確認電話などを市役所に架けても通じないことを狙っているのだろう
という一連の流れからこれは『還付金詐欺』への誘導電話と判断した
この電話(03-6371-3974)からの着信拒否を固定電話に設定
翌朝8:46と8:47の2回電話が架かってきたが、着信拒否で受けず
それからはアポがなく、勧誘を断念してくれたのかな、、、実質被害もなかった
ここで還付金額などの金銭の話題が一切出なかったのは、相手を油断させる手はずになっているからだろうか
今日の午前中、買い物に出た途中で近所の交番に立ち寄り、コトの顛末を説明したら
警官2人で我が家に来て、固定電話の着信履歴を確認撮影して事件記録をして帰った
今後高槻警察署の防犯記録に反映し、注意喚起と再発防止活動に活用するとのことであった
読者の皆さまも、物腰丁寧でいかにもありそうな機関を名乗る電話にはお気をつけ下さい

私は集団接種ではなく、クリニックでの個別接種を直接申し込んだのですが、
指定時刻にクリニックを訪問し、経過観察まで入れて20分もかからずに接種できました
接種時も今も筋肉痛も腫れもなく、体調一切変化無くて拍子抜け、何の副反応も感じておりません
元々注射には打たれ強かったので、インフルエンザの予防接種と感覚は変わりません
ま、翌日に発熱する人もいるようなので、明日はおとなしく過ごすことにします
世間では一向に接種が捗らない中、まだ日本全体で5%程度しか進捗していないとか
そんな中で聞こえてくるのがごり押しだとか割り込みだとか、ろくでもない話ばかりです
ところが私は、感染のホットスポッのど真ん中に住んでいるのに、実に幸運でした
具体的な接種までの経過ですが・・・・
① 市役所から4月2日に接種の案内が届いた
接種クーポンは入っていたものの具体的な日程や手順は 『追って沙汰する』
結局そのまま案内書を手元に置いておくだけだった
② 町内のクリニックで事前予約を仮受付するとの話を4月25日に耳にした
聞けば、接種時期は確約できないが希望を受け付け、決まったら電話連絡するとのことだった
③ 翌26日に、そのクリニックに仮申込書を提出して連絡を待つことにした
接種予定は5月18日以降の毎火・木曜日14時~15時とのこと
④ 5月7日にクリニックから接種予定日の連絡電話が来た
1回目が5月20日の14時~15時、2回目が6月10日の14時~15時とのこと
意外な早さに驚いたが、文句を言う筋合いはなくそれで了解、予約した
⑤ 本日14時にクリニックに出向き、無事に1回目の接種を完了
・・・という次第でありました
ワクチン接種は我が身を守る唯一の術であると感じていますので、
取り敢えずこれでひと安心ですが、
集団免疫が社会でできるまで、今までどおりのマスク生活や手指消毒、
外出の自粛、人との接触回避などは続けてゆくつもりです

私は菓子類の中ではアーモンドチョコが好きである
自宅でアーモンドチョコが切れると、何か落ち着かない
時折大人の駄菓子屋を覗いて、そのときに気になったのを買って帰る
そして、冷蔵庫にストックが何袋かあると、なぜか安心して心が落ち着く
私は、チョコと言えば誰もが思い浮かべる超メジャーなメーカーのはあまり買わない
写真はたまたまあった現在の冷蔵庫在庫であるが、それぞれが個性的な味で楽しめる
名糖のなんかは超ビター、殆ど甘みを感じないチョコに包まれていて、刺激的だ
実は私、小学校3年生になるまでアーモンドチョコの存在すら知らなかった
チョコと言えば5円、10円で買える駄菓子屋の”チョコ風味の駄菓子”だった
同級生の女の子に”ええとこの子”がいて、その子が時折”板チョコ”を食べているのを見て、羨ましかった
小学校の3年生になる頃、父親の転勤で盛岡に転居し、私は転校生となった
そこでの初めての遠足に行った時、おやつは一人1種類だけ、○○円以内という制限の中、
私は森永のミルクキャラメルを1箱持っていった
クラスメートたちもキャラメルとか煎餅というのが多かったと思う
実は、遠足の暫く前に盛岡市内のキャラメル工場に課外授業で見学に行っていたので
異様にキャラメル比率が高かったのかな、と推察している
そんな中で一人、女の子が板チョコらしいのを持ってきていた
その板チョコには多分6個のこんもりした山が膨らんで載っていて、
私は初めて見るその姿を不思議そうに眺めていた
その子が気付いて、交換を申し出てくれたので喜んで受けた
キャラメル1個と交換した1山のそのチョコを頬張ると、何とも言えない食感が口中に広がった
そのとき食べたのがアーモンドチョコ、その香ばしさと甘さと歯触りは衝撃の初体験だった
銘柄が何だったかは忘れたが、その子が教えてくれた「アーモンドチョコ」という名は記憶に深く刻まれた
あれから60年以上経つが、その記憶は今でも尾を引いて強く残っている
今でもこれらのアーモンドチョコについつい手が出てしまうのは、
幼少期の駄菓子のチョコ風味を舌が覚えていて、あの遠足の時の衝撃が合体し、
深~い心の深層に本能レベルで刻み込まれているからかもしれません