一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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金閣寺の縁日
昨日に続きアーカイブで。


8月16日という日は、五山の送り火(大文字焼き)の日、
何でこの日にわざわざ金閣寺に行ったかというと、この日に境内で縁日があったからです。
現在でも金閣寺の境内で縁日が開かれているのかどうか、よく分かりませんが、
この当時でも滅多にないことなので、どんなものかと出掛けてみたのです。

行ってみたら境内から周辺道路まで屋台が出ていまして、
特に境内の不動堂があるあたりではごった返していました。
護摩木を売ってるお坊さんも大忙しという風情でしたね。

金閣寺の縁日#1

金閣寺の縁日#2

金閣寺の縁日#3


ところが周辺部の路上の露店には余り人が来ず、
売り子さんは暇そうにしていました。

金閣寺の縁日#4

金閣寺の縁日#5

金閣寺の縁日#6

金閣寺の縁日#7


この日、私の記憶では、最後の小母ちゃんの店でしば漬けを買って帰ったはずです。
当時、私の父親も母親もまだ歯がよくて、あのポリポリ感を好んでいたからです・笑


1979. 8. 16  機材不詳、KODAKネガカラー


テーマ:お寺・神社 - ジャンル:写真

34年前の金閣
ネタ切れにつき、アーカイブもので・・・・  (・・;)

放火により焼失し、再建されたのが1952年ですから、再建後27年経った頃の姿です。
さすがに四半世紀を超えますと、新築の見栄えは消え、しっかりと庭園風景に溶け込んでいます。
この時から四半世紀以上経ち、近年外装を更新した現在の姿と比べても、まるで違和感がないですね。

44年前の金閣#1

昔も今も、眺望スポットは極めて狭い範囲です。
少し、20m程移動しただけで秀麗な正面の見え方が変わってしまいます。

44年前の金閣#2

金閣のある鹿苑寺庭園の散策路も、今とまるで雰囲気は変わっておりません。

44年前の金閣#3


このような保全された史跡庭園は、30年や50年のスパンでは全く変化がないように見えます。
反対に、何十年という時間を経ても見栄えが変わらないように手を入れている園丁の技術は、
すばらしい職人技と言えるでしょうね。
いつ来ても、どう眺めても、同じ景色に見えるということは、実は凄いことだと思います。


古いネガカラーフィルムですので、退色が進み、補正はしましたが、
ここまでが限界、少々色の出方が不自然になってしまいました。


1979. 8. 16  機材不詳、KODAKネガカラー


テーマ:お寺・神社 - ジャンル:写真

今宮駅今昔
今宮駅今昔#1

久しぶりにJR今宮駅に行ってきました。
今から45年あまり前、学生時代に行った時の写真が残っています。
ここは国鉄大阪環状線と関西本線が合流する地点にあり、
湊町駅(現在:JR難波駅)を始点とする関西本線の1つめの駅が置かれていましたが、
大阪環状線には駅設備はなく、ここで両線を乗り継ぐことはできませんでした。

当時の大阪環状線には、新鋭の高性能通勤電車である101系が走っていまして、
関西圏では一番光り輝いていた路線であります。
今宮駅今昔#2

対する関西本線は、未だ非電化のローカル線で、旅客列車がやっと無煙化され、
ディーゼルカーに切り替わった頃でした。
しかし、そのディーゼルカーはキハ30系という隙間風が吹き抜ける悪名高い車両でした。
今宮駅今昔#3

そして、貨物列車はお馴染みのD51がシュッポッポと牽いておりました。
今宮駅今昔#4

現在では、環状線にもホームが設けられ、当駅で環状線と関西線の乗り継ぎが可能となりました。
それでも、乗換には隣の新今宮駅の方が便利ということで、現在でもこの駅は閑散としています。

路線も電化されて近代化されていますが、走っている車両は相変わらず旧型、
関東地区では既にほぼ現役を退いてしまった103系がバリバリの現役であります。
今宮駅今昔#5

関西線の優等列車、と言っても快速電車ですが、223/225系の新型車両が使われ、
ロングラン快速は新今宮から大阪環状線に乗り入れ、大阪駅まで直通していてこちらの線路には来ません。
一部快速(区間快速)は、JR難波駅を始発駅としてこちらの旧線を走っていますが、
こちらに入ってくる車両は、関西系中距離電車の2世代前、221系という旧車であります。
今宮駅今昔#6

相変わらず車両面では恵まれない関西線でありますが、
通勤、通学、行楽の足として元気に電車が走っており、
混雑もしていますので、もう一段のテコ入れをして欲しいところです。

大阪環状線のホームが設けられ、線路配置は昔と少々異なっていますが、
関西線の頭の上を大阪環状線内回りの線路が乗り越えている配置は変わっておらず、
構内を彷徨きますと、何となく昔の姿が思い出せる名残を感じました。
そして、相変わらず客数が少ないな、という雰囲気も変わっておりませんでした。


1967. 11. 10  ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 55mm F1.8
2013. 04. 29  PENTAX K-x / smc PENTAX-DA L 18-55mm F3.5-5.6 AL


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

動画
先月の話ですが、”なすちる”さんという方から「写真を使わせて欲しい」という連絡をメールでいただきました。
主旨は、『変わりゆく町の風景に思いを馳せるような内容でイメージ動画を作りたい』とのことでした。
写真を悪用したりする感じではなく、真面目に制作を企画していらっしゃると受け止めましたので、
再利用の承諾をいたしました。

ややあって、10日ほど前に『完成しました』とのご連絡をいただき、早速拝見しました。
はっきり申し上げて、ここまできちんと作り込んでくださるとは思っていませんでしたので、
よくこのようなイメージに作り上げたな、と感激しました。

題材は私の「思い出写真」としてこのブログでご紹介した40年前と最近の対比写真です。
対象ブログは
   http://madam01.blog106.fc2.com/blog-date-20091120.html
   http://madam01.blog106.fc2.com/blog-date-20110508.html
の2本です。

他の方とも交渉されたようで、上手く組み合わされていました。
私だけが楽しんでもと思い、ここでご紹介します。ご覧ください。
下の写真をクリックしますと、ユーチューブのサイトにリンクしています。





私の撮ったスチール写真が、このようなイメージ動画になるとは想像だにしていませんでした。
40年前の写真と最近の写真をフェードアウト・インするシーンでは位置合わせまできちんとされています。
細かい部分まで手抜かり無くしっかりした技術で整理されていますので、とても気持ちよく見られます。

このような新しい表現に挑戦し、完成させていただいたなすちるさんに改めて感謝いたします。




テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

43年前
ちょいと蛍光灯の球などを買いたくて、自転車をこいで檜尾川堤防沿いの量販店に行ってきました。
せっかく久しぶりに檜尾川の堤防まで来たのですから、昔の姿は今いずこ・・・・
ということで、昔撮った写真の風景が今どうなっているか確かめてみました。

昔撮った写真は1968年3月15日、43年前になります。
レンズの写角が違いますし、全く同じポジションに立てませんので、
比較は難しいですが、なるべくイメージが重なるように撮ってみました。
現在の写真は、昔の写真よりも少し広角気味、周りの様子まで写っています。


昔は阪急電車も2~4両編成で走っていました。名車デイ100も健在です。
檜尾川堤防から京都方面に向いて撮っています。
43年前#01
現在は7~8両編成で、車両も随分スマートになりました。
当時の背景は田圃で、すっきり見渡せましたが、現在は大型ショッピングセンターが建っています。
でも、土手の雰囲気などは殆ど変わっていませんね。架線柱も同じものを使っているようです。
43年前#02


アングルを右に振って、田圃の中の集落越しに見る新幹線を撮っていました。
43年前#03
現在のほぼ同じアングルで撮ったものは、田圃がほぼ消えてしまい、
鉄筋アパートやマンション群に埋め尽くされています。
新幹線は団地の向こうに隠れてしまい、その走行する姿を眺めることはできません。
手前にある集落がかろうじて当時の姿をとどめています。
昔の写真の左端に移っている切妻屋根の二階建て住戸が
赤い看板のあるマンション手前にある集落の左から2番目の住戸になります。
43年前#04


阪急の線路土手の北側にあった小さな畑と神社、
そこで野良仕事だか、ふざけてんのか分からない若い二人がいた風景です。
43年前#05
神社はそのまま残っていますが、随分鎮守の森が茂ってきて、常夜燈も鳥居も隠れてしまっています。
参道は広くなりきちんと舗装されていますね。
畑はかろうじて残っていますが、右の畑だったところにはにはどこかの工場が進出しています。
43年前#06


檜尾川堤防上から堤防沿いに北側を走る国鉄の踏切を眺めています。
背後の山肌が削られていますが、中腹には開通してまだ数年の名神高速道路が走っています。
路肩にはガードのワイヤしかありませんので車がよく見えるはずですが、走ってる車が見あたりません。
43年前#07
現在も川筋は変わらず、ここから見る景色に大きな差はありません。
堤防上を走る道路が立派になり、ガードレールがフルに設置されているのが大きな違いです。
踏切を通り抜ける貨物列車は、JRの今どきの機関車で、貨車もコンテナ車になっています。
背景の山肌はすっかり削った傷痕も消え、名神高速道路の擁壁も立派になり、防音壁で囲われています。
旧西国街道沿いの古くからの家屋も余り変化がないようです。
43年前#08


堤防上からアングルを左に振って国鉄高槻電車区の方を眺めています。
当時はずっと田圃が拡がる郊外の田園地帯、広告看板も国鉄線路もよく見えます。
43年前#09
全く同じ方向を撮っているのですが、住宅がびっしり建て込んで、
この景色が一番変わりましたね。あののどかな田園風景は消えてしまいました。
43年前#10


ほぼ同じ場所から360°、昔はどの方角も良く見通せましたが、
現在では、一部に痕跡はみられるものの都市化が進んでしまったなぁ、というのを実感しました。
それでも、このあたりはまだまだ昔の姿が十分思い出せる場所なんですよ。
川と堤防、そして線路がそのまま残っているというのが大きいんでしょう。


1968.3.15  ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS Microfine
2011.5.3   NIKON D40 / AF-S DX NIKKOR 18-55mm F3.5-5.6 GII ED


テーマ:記憶と思い出 - ジャンル:写真

閉店
長年おつきあいのあった馴染みのカメラ店がまた閉店してしまいました。
そのお店は京都西院にあった「カメラのふじもと」、年内で撤退です。
私の写真がらみの交友関係では有名店で、何人かはお店にもお連れし、
このブログでも何度もご紹介しました。
ブログのキリ番イベントでは何台もご厚意で景品をご提供いただきました。

閉店#1閉店#2閉店#3


私が先週末にお訪ねした時にはほぼ整理は完了、最後の運び出しを待つばかりでありました。
店内のショーケースにぎっしり詰まっていた1000台近いカメラたちはすっかり消え、
この店はこんなに広かったかなぁ、と思うくらいガランとしていました。

閉店#4


この写真は2006年12月に初めて亜哉さんをご案内した時に同じアングルで撮ったものです。
この当時でも在庫は軽く600台を超え、閉店直近ではケースも増え、展示カメラの間隔がほぼゼロ状態でした。

閉店#5


ごく一部のコレクション品を例外として、銀塩カメラ一般では商売がなかなか成り立たない、
そんなカメラ事情を痛感させられる一事でありました。

店長が捲土重来、何らかの形で再開されることを願っております。


本日は大晦日、早めにアップさせていただきました。



桜島
九州汽車旅 1

1969年3月1日~9日の間均一周遊券で九州を回る一人旅に出ました。20歳の時です。
目的は残り少ない蒸気機関車の活躍をこの目で見てフィルムに収めたいというものですが、
これが私が九州に足を踏み入れた最初であり、以来鉄ちゃんで行ってはいませんので、
現在のところ鉄ちゃんとしては最初で最後の旅になっています。

初日は新大阪発夜行急行電車「別府」で翌2日朝大分に着き、
そこから均一周遊券で乗れる鈍行を乗り継ぎ日豊本線経由で午後に西鹿児島に着きました。

西鹿児島駅では友人のS君が彼ど同下宿の友人3人と出迎えてくれました。
S君は中高生時代を通じての友人で、大学は鹿児島大学に進学していました。
彼は下宿生活を送っていたのですが、私が鹿児島に行くから会いたいと連絡したら、
そんなら1日遊ぼうやということになって待ち合わせた次第です。

彼らは桜島を案内してやるよということでフェリー乗り場まで行き、
そこでいきなりヒッチハイクを始めまして、気のいい小父さんが乗せてやるという話になり、
その車に便乗し、桜島に渡りました。当時のフェリーは車については何人乗っても同料金、
なので、同乗者になればロハで対岸に渡れることになります。
当時の鹿大生は町ではいろいろ大事にされていたようで、可愛がられていましたので、
小父さんも鹿大生ならと喜んで同乗させてくれた次第です。

その小父さんの案内で桜島をドライブで巡り、大隅半島側まで走ってくれましたので、
桜島の姿がよく見える海潟の海岸で降ろしてもらいました。
そこから見た桜島の御岳は実にいい景色でした。


(1) 桜島#1


案内してくれた鹿大生同下宿の4人です。左端がSくんです。


(2) 桜島#2


せっかくここまで来たんだからと記念撮影。当時のハタチって結構ヒネてますね・笑


(3) 桜島#3


私も入っての記念撮影です。前列でしゃがんでいるのが私です。


(4) 桜島#4


ここで桜島の景色を堪能し、また鹿大生の特権を使ってヒッチハイクして鹿児島に戻ったらもう夕方です。
厚かましく車でそのまま天文館まで送っていただきまして、居酒屋で気勢を上げた次第です。
『客人に奢ってやるよ』という話でついていったのですが、切り上げるときになって『金が足りん!』
どうやら調子に乗りすぎたようです。話が違ってアタシが一番たくさん払うハメになりました。
出だしからいきなり予定外の出費で、乏しい路銀が心細くなりました。トホホ・・・

何にしてもとにかく楽しい一日で、どこをどうやって帰ったのか記憶にありませんが、
彼らの下宿で一泊お世話になりまして、翌日からの鉄旅の英気を養った次第です。

あれから40年以上、S君とも連絡不通となり、鹿大の友人たちは名前も忘れ、
楽しかった思い出だけが残っています。


1969.3.2 海潟
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 9分


テーマ:記念撮影 - ジャンル:写真

塚本今昔
このブログで40年前の淀川堤防から見た国鉄塚本駅と大阪駅の写真を出しましたが、
あそこはどうなってるかなと先日その淀川堤防に行ってみました。

これが 1968.3.15 に撮った淀川右岸堤防から塚本駅方向を撮った写真です。
(1) 塚本今昔#1

そしてこれがほぼ同じ場所から撮った今の写真です。
線路位置が左にずれて建物に隠れるため、50mmで撮っています。
(2) 塚本今昔#2

当時は国鉄淀川鉄橋架け替え(嵩上げ)工事中で、線路を後方の阪神高速道路寄りに
移設しながら鉄橋を架け替え、線路を移設しています。
当時の線路があった土盛り築堤は線路2本分削り取られ、線路と線路沿いの道路が離れました。
昔の線路高さは、現在のコンクリート擁壁の上辺あたりになります。
それ以外に地形や区割りは変わっていませんが、写真に写っている建物のほとんどが建て替わっています。
見たところ同じ場所だと分かりますが、随分雰囲気が違って見えます。


同じ日に淀川越しに大阪駅の方を撮った写真です。
川沿いの工場群の向こうにできたばかりの大阪タワーが見え、画面左に凸型の大阪駅も遠望できます。
(3) 塚本今昔#3

同じ方向の今の写真です。
少し右にずれてしまいましたが、一番手前ののっぽビルの陰に大阪タワーが隠れています。
川沿いにあった工場群は姿を消し、大阪駅との間には高層ビル群が建ち並び、大阪駅の姿は消えました。
(4) 塚本今昔#4

大阪タワーは、と言いますと、少し上流側に移動して撮りますとビル影にちょこっと見えています。
随分背が低くなっていますが、ビル群に囲まれてアンテナ塔としても展望台としても
役に立たなくなってしまったので用途廃止となり、現在解体工事中なんです。
混み合った市街に建っていましたので、だるま落としの要領で下から解体して背を低くしていっています。
(5) 塚本今昔#5

上の写真は個々には大変わりしていますが、全体として名残の景色が分かります。
下の写真はまるで景色が変わってしまって、最初は撮ろうとしても目的が定まりませんでした。
41年半経った定点観測ですが、撮る方向によっても変化の度合いが違っていて興味深いです。


ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS Microfine
RICOH XR500 Auto / XR RIKENON 50mm F2 L、135mm F2.8 / KonicaMinolta 業務用 100ネガ

テーマ:昭和レトロ - ジャンル:写真

檜尾川堤防
私の自宅から約1.5kmほど東に行ったところに檜尾川(ひおがわ)という小さな川が流れています。
この辺りに来ますと天王山も近く、北摂の山がぐっと南にせり出してきます。
淀川もグッと北寄りに流れを変えますので、山から短距離を一気に流れ落ちる川は昔から暴れます。
そこで堤防を築いて流れを落ちつかせるのですが、長年月の間に堤防が高くなり、
堤防の高さは10mを超え、平常時の水面は辺りの地面を超えるほど、天井川の様相です。
周りは田んぼの広がる平地なので、この川を渡る鉄道も道路も一気に坂を上り、越えたら一気に下ります。
(1) 檜尾川堤防#1

山裾から淀川の間は、この辺りでは約1km程に狭まります。
その山肌を名神高速道路が走り、山裾近くを国鉄東海道線が走り、その間に旧西国街道が通ってます。
私が立っているところで阪急電車が川を越え、その南側を国道171号線(現西国街道)が渡り、
更にその南側を高架で東海道新幹線が超えてゆき、と主なものだけでこれだけ通っています。
昔からここが天下の要衝と言われたのがよくわかります。楠木正成も豊臣秀吉もここを駆け抜けました。

今では他の土地と同じように西側から高槻市街が広がってきて新興住宅街となっていますが、
川の東側は阪急の次の駅上牧(かんまき)辺りまではまだ昔の農村風景を遺しています。

その堤防の東側国鉄と阪急の間に日吉神社という小さな神社があります。
この日は神社前の畑地を若夫婦らしき2人と姑でしょうか、3人で畑を耕していました。
(2) 檜尾川堤防#2

姑さんらしきお方は本格的な農婦姿でありますが、
この若夫婦の、特に嫁さんの服装はおよそ畑仕事に似つかわしくない格好をしていますね。
ひょっとしたら、母親に「この人と結婚するねん」と紹介がてら連れてきたのかも・・・
ちょっと婆ちゃんの目が届かないと、すぐにふざけたりして、もう見てられませんな。
婆ちゃんも気付いて気付かぬふり、腹ん中で舌打ちしてることでしょう。
(3) 檜尾川堤防#3

今でもこの神社の森はそのまま残っていますが、周りには住宅が進出してきています。
この若い二人は写真を撮った40年後の今、どうなってるんでしょうかねぇ。

堤防上から川越しに高槻電車区の方を遠望してみますと、まさに昔ながらの農村風景ですね。
この高槻電車区は以前ご紹介した京大農場の北側にあり、今でも私の試写場です。
ちょうど電車区の前を東海型153系の急行電車が走り抜けて行きます。
今ではこの広告看板の立ってる辺りは建売住宅がびっしり建て込んでいます。
(4) 檜尾川堤防#4

今度は堤防上から阪急の線路越しに南側を見てみます。
田園風景の中を新幹線が風を切って走って行きます。
ここから新幹線までの距離とほぼ同じくらいの向こうには淀川が流れています。
(5) 檜尾川堤防#5

この農家の集落の左側は、現在ジャスコの巨大ショッピングセンターになっています。
新幹線の先頭車の向こうにうっすら見える小高い山影は、淀川対岸の牧野、樟葉あたりです。
距離にして2~3kmというところですが、昔は結構遠くまで見えていたんですね。

このポイントは四方に見晴らしがきき、阪急に国鉄に新幹線にと鉄ちゃんには天国のような場所、
私の絶好の撮影ポイントだったのですが、今では遮蔽物が多くなってこうは撮れなくなりました。


1968.3.15
ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS Microfine




もうすぐキリ番の”200000”になります。
ペース的にはあと1週間ほどかなと思います。
景品はご案内の記事でご紹介していますので、そちらをご覧ください。
せっかくですので是非キリ番踏んで景品をゲットして下さい。

テーマ:懐かしい風景 - ジャンル:写真

1968年3月10日の晩、私が米原に汽車の写真を撮りに行く段取りをしていたら、弟が着いてくると言いました。
小中高と学校も違うし、部活も違う。それまでも一緒に行動することは少なかったのですが、
助手をすると言うので、ならば行くか、と翌朝早くから一緒に電車で米原に行きました。

これが16歳の頃の弟です。高校1年から2年になる春休みです。
通っていた高校は、先日新型インフルエンザで一躍有名になった関西大倉高校です。
当時の高校生がカジュアル衣料など持ってるわけはなく、防寒着は学生服です。
(1) 弟#1

朝から写真をひとしきり撮って、そろそろ10時を過ぎようとする頃、
「腹減ってきたなぁ」「兄ちゃん駅弁買うてくるわ」と米原駅までてくてく買いに行ってくれました。
当初の予定では昼までに撮影を終えて駅に戻って昼飯ということにしていたのですが。
温暖化が進んだ今では信じられませんが、当時の3月は氷が張って雪が残っていました。
(2) 弟#2

ここは北陸本線沿いの多良口というところで、米原駅からは歩いて20分以上かかります。
私は弟が買い出しに行ってる間も写真を撮っていたのですが、小1時間せぬうちに戻ってきました。
駅で弁当を仕入れた弟は、なぜかニコニコと・・・・
(3) 弟#3

で、駅弁食って、残ったフィルムを消化して引き上げました。

弟です。
(4) 弟#4

私です。当時大学の1回生から2回生になる春休みで、19歳でした。
私も防寒着といえばジャンパーかブレザー、この日は生地の分厚いブレザーです。
(5) 弟#5

この日は何でここまで着いてくると言ったのか、よく分かりませんが、
テツ写真を撮るときには、それから私が就職するまで何度か弟が助手で着いてきていました。
この写真では高校生の弟も、今ではあと2年ほどで定年を迎える銀行員です。
遠い昔の写真でした・笑


1968.3.11
ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / (1)~(3)NEOPAN SS、(4)(5)KONIPAN SS

テーマ:懐かしい風景 - ジャンル:写真

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