一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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一之船入
昨日ご紹介しました押小路の旧家、何であそこだけ固まってるのか不思議ですね。
実はあの裏側はこうなっているんです。こんな状況は想像できましたか?
(1) 一之船入#1

慶長19年(1614年)に完成した高瀬川はここの少し上流で鴨川の副流から分流させ、
このあたりが始点になります。そこでここに船溜まりが作られ、一之船入と称されました。
元々は当時の貨物積卸場で、東西約85m、南北10mほどの掘割です。
高瀬川は木屋町通の西に沿って流れますが、
木屋町の名はここに材木業者が多かったことに由来するということだそうです。
ここから四条にかけてはいくつもの船入りが作られましたが、(だから「一之・・」とついている)
残りは大正期に水運が廃止されてから埋め立てられてしまい、所々に切り込む痕跡が残るだけです。

これであの旧家群がなぜここに固まっていたのか、どういう役割の商売をしていたのか分かるでしょう。
現在、この一之船入沿いの押小路通旧家群は町名が「一之船入町」となっています。
なお、この掘割の北側(画面の右側)は現在の日銀京都支店になっているため、
掘割のそばに近づくことはできません。残念。

その一之船入から高瀬川のちょっと上流に歩いてみますと、こんな景色です。
(2) 一之船入#2

さらに上流に歩きますと、ここで高瀬川は暗渠に入ってしまいます。
見かけ上の高瀬川始点はこの写真を撮った私の立っている場所です。
この暗渠出口と一之船入の出入り口の間に復元された高瀬舟が展示されています。
画面右側には日銀の頑丈な通用門があり、そこから一之船入の様子を窺うことはできません。
後方に見える橋は、昨日ご紹介しました押小路橋です。
(3) 一之船入#3

木屋町通の高瀬川畔にはこのような記念碑が建てられています。
(4) 一之船入#4

木屋町通はいつもどおりの静かな時間が流れていました。
木屋町通もこの二条と御池、三条の間は車が通らなければ実に静かなところです。
nonakaさんの大好きな水撒きしてるおっちゃんがいてはりました・笑
(5) 一之船入#5

実はこの木屋町通の三条上がったところに『やのすけのおっちゃん』(親戚)がやっていたうどん屋がありました。
私の母方祖母の義兄さんですが、30年ほど前に亡くなるまで息子さんと商売を続けていました。
置屋さんへの出前も多く、子供の頃遊びに来たら先斗町への出前について行ったりしてました。
よく可愛がってもらい、その「やのすけ」には私専用の「ぼんの卵丼」という裏メニューがありました。
いつも店の奥の厨房横にある二階居室に上がる階段に腰掛けて食べさしてもらいました。
典型的な京町屋作りのお店でしたが、閉めた店の跡地はいま人手に渡り駐車場になっています。

また、木屋町御池には高折医院という小規模の病院があり、本館は大きな木造二階建てでした。
そこにはよくお世話になり、母親が入院したときに木造病棟の窓から見た御池通をよく覚えています。
この辺りは懐かしい思い出の地です。


PENTAX K100D Super / smc PENTAX-FAJ 18-35mm F4-5.6 AL
BESSA R4A / Summaron 3.5cm F3.5 / Lucky SHD100 New (at ISO 200) / ND-76 1:1 23℃ 7分

テーマ:■京都を撮る■ - ジャンル:写真

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