一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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蒸気機関車
(1) 蒸気機関車#1

(2) 蒸気機関車#2

蒸気機関車をSLと言うようになったのは多分この写真を撮った前後からではないかと思います。
それまでは「蒸気機関車」または「蒸気」「カマ」という呼び方をしていたものの「SL」と言ったことはありません。
いわゆるSLブームが世間で沸き起こったのがこの頃からでしたので、このブームに便乗した
雑誌出版社あたりが言い出したのでしょう。老舗の鉄道雑誌ではSLとは呼びませんでした。
そのうち「SL」が一般名詞化してこちらの方が通るようになってしまいました。
今では私も邪魔くさいのでSLと言うことが多いですが、未だに言ってから違和感を感じています。

この米原-坂田間の撮影地に来た1968年春にはD50とD51が交直接続の主役でした。
既に初期に活躍していたE10はなく、秋にはDD50が進出してきて一部無煙化が進みます。

D50です
(3) 蒸気機関車#3

D51です
(4) 蒸気機関車#4


1968.3.11
ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS、KONIPAN SS Microfine


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

「撮る自由」
「撮る自由」#1

こんな本を見つけました。

ここ数年、特に最近は「著作権」「肖像権」「個人情報」などなどで撮影に制約が増え、
あるいは先回りして配慮しすぎて本来の写真の特質や楽しみを損なうことも多くなりました。

「撮影禁止」と言われて、それがどのような根拠に基づいているのか理解に苦しむ、
なんてことがあったりしませんか?
街角風景を撮ったら「うちの店を撮るな」と怒鳴られた経験はありますか?
街頭撮影で「スナップ写真」を撮ったら交番に突き出された、なんて悲しいですね。

このあたりはカメラマンのモラルに由来するものでほとんど解決できるはずなのですが、
撮る方も撮られる方も何やら理不尽な過剰反応をしていることもあるやに感じます。

私は本来撮る時に気をつけるべきことは、「悪意」を持って撮ることを避けることだけだと考えています。
「悪意」は必ずしも意識しているとは限りません、無意識や脳天気で相手に悪意を感じさせてしまう、
なんてこともあります。

動物園で動物を撮るときに、赤ん坊をアップで撮るときにストロボを焚く
人が着替えやトイレや食事などで見られたくないときに撮る
人を笑いものにする、こき下ろすような瞬間を撮る
人通りの多いところや狭いところで三脚を立てる
著作物を複製目的で撮影する
大切にしているものなどを三脚やカメラ機材で傷つける
静かにしていないといけないときにガチャガチャと撮影音をまき散らす
・・・いくらでも気をつけないといけない悪意がばらまかれます。
自分の価値判断ではOKでも、相手の価値判断ではNGというのもあります。

また、「撮影」と「公開」を混同して、「撮影=世間に晒す」ことと過剰反応することもあります。
撮る行為と、撮った結果を公開する行為を冷静に分けて考える必要もあるでしょう。

私は、基本的に見ていいものは撮ってもいいと考えています。
見たくない、見てはいけない、目を背ける、そんなものは特定の目的がない限り撮りません。
加えて、撮ってもいいものでも、それを後で公開したときに被写体にダメージを与えないか、
公開するかどうかを判断する良識は持たないといけないと考えています。

ただ、これは人それぞれが持っている価値観で相当ぶれるものと思いますし、
深く考えている人もいれば、まるで考えていない人もいます。
そして、最悪なのが、カメラを持っていることで特権を獲得した気になってしまう人です。

そのあたりのことを他の人がどのように考え、行動しているかを知りたかったのですが、
たまたまこの本を見つけたので買って読んでみました。
そして、私には面白く読め、判断のポイントも具体的に明確になったところもあります。
また、世間の理不尽な誤解があることや、権利を盾にしたゴリ押しがあることも分かりました。
また、自由が権利ではないことも、ヤバイと禁止が違うことも確認しました。

この本は教科書的に教えてもらう内容ではありません。著者の考え方が述べられています。
そう深く追求したものでもないし、全面的に納得できる内容でもありませんが、
興味があれば読まれて、そして自分なりに考えてもいいかな、と感じましたのでご紹介しました。
そして、あくまでもご自身の価値判断であてはめてみてください。損した気分にはならんと思いますよ。


神田駅へ
そろそろ約束の時間まで間がなくなってきましたので、神田駅まで歩いてゆきます。
中央通りを横断し交通博物館に別れを告げますが、下ろした看板文字がまだくっきり残っていました。
(1) 神田駅へ#1

中央通りから高架沿いに神田駅方向に歩きますと、
暫くは高架下を倉庫やガレージに使っている町外れの閑散とした雰囲気が続きます。
(2) 神田駅へ#2

(3) 神田駅へ#3

靖国通りを渡って進みますと、段々と店舗利用しているところが増えてきます。
それでもガード沿いの裏通り臭がプンプンしていますね。
神戸のモトコー商店街あたりの雰囲気に似ています。
(4) 神田駅へ#4

なぜかこのあたりで何軒か楽器を扱っている店や工房が固まっていました。
こちらはバイオリン専門のご様子で、
バイオリンケースを背負った洒落た女の子を見かけてびっくりしたのはここがあったからですね。
(5) 神田駅へ#5  (6) 神田駅へ#6

徐々に神田駅が近くなってきますと、駅前の雑然とした雰囲気になってきました。
靖国通りと中央通りを渡るところまでずっとあのレンガアーチの高架が続いていることになります。
(7) 神田駅へ#7

さて神田駅北口に到着しました。
以前はこの駅近辺に客先があってよく出かけたところですので、見慣れた駅前です。
(8) 神田駅へ#8

いつも出入りしていた東口からおなじみのガード下風景を眺めてみます。
(9) 神田駅へ#9

ここで新宿待ち合わせ時間までギリギリになりましたので、
コンデジを仕舞い込んで電車に乗り、あの萬世橋駅跡を眺めながら新宿へ向かいます。


KODAK EasyShere V570


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交通博物館跡
さて、やっと交通博物館の正面にやってきました。

あの懐かしい正面玄関はまだ壊されずに残っていました。
(1) 交通博物館跡#1

玄関横にはさよならのご挨拶がまだかかっていました。
(2) 交通博物館跡#2

ちょっと横に回って隙間から覗いてみますと、
あの大きな展示館の円柱のような階段室は撤去されて姿はありませんでした。
(3) 交通博物館跡#3

正面玄関横の実物大車両の展示スペースはまだ残っていました。
でも、あったはずのD51の頭があった台座はきれいになくなっていました。
新幹線ひかりの頭が乗っていた台座はレール付で残っていました。
中央通りを渡る高架下のあのジャンク屋さん、「ラジオガァデン」はそのまま変わらずやってました。
(4) 交通博物館跡#4

ここに「ひかり」の先頭車カットモデルが突き出すように乗っかっていたんですよねぇ。
(5) 交通博物館跡#5

中央通りの高架ガードと旧萬世橋駅との接続部をアップで見てみます。
随分凝った意匠で飾られていますね。
(6) 交通博物館跡#6

昔々子供の頃、ここに来たときの展示車で記憶に残っているのは「こだま」号だったと思います。
それは後に「超特急ひかり」号になり、SLブームを受けて「D51」の顔も並びました。
いつ来てもそれらを遠くから見た時からワクワク気分が高揚したものです。
今残っている交通博物館の建物もそのうち撤去されるでしょう。
でも、来たときの記憶はいつまでも目を瞑れば再現できてしまいます。

厳密に見れば、旧萬世橋駅跡は電車が走っている線路のあるレンガアーチの中と上、
交通博物館はその高架に横付けされる形で展示館などが設けられていました。
旧萬世橋駅の高架下駅舎や諸施設は交通博物館の業務や収蔵で使われ、通常非公開エリアでした。
ということで、交通博物館の展示館自体が撤去されても旧萬世橋駅跡は残ることになります、多分。
そして反対に、より元の姿に近い姿や外観で旧萬世橋駅を見ることができるのではないか、
そんなことを想像しています。交博が消えても旧萬世橋駅跡が保存される期待を込めて・・・

(7) 交通博物館跡#7


KODAK EasyShere V570


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レンガ造り高架
昌平橋を渡りレンガ造りの高架をくぐり、線路沿いに神田方面に向かって歩いてみます。

くぐったところでお茶の水駅方向を見てみますと、こんな感じです。
先にご紹介しました食堂街?の入口が並んでいます。
神田からの中央快速線の高架線路は旧萬世橋駅(交通博物館跡)を挟んでお茶の水まで
ずっとこのレンガアーチでカーブしながら作られていたんですね。
(1) レンガ造り高架#1

神田方面に高架沿いの歩道を交通博物館跡に向かって進み始めました。
このあたりは中央通りからちょっとしか離れていませんが、
人通りも少なく、通る車も少なく、高架を通る電車の音が良く聞こえる静かなところでした。
(2) レンガ造り高架#2

高架沿いの歩道は屋台やバイクの置き場で利用されていて、ずらりと並んでいましたので、
ここでは取り締まりもする必要ないくらい通行が少ないのかな、と思います。
(3) レンガ造り高架#3

高架アーチの底部が目隠しレンガ積の状態が暫く続きましたが、
やがて工事用の目隠しシートで覆われたところにさしかかりました。
ちょうどこの前のT字路を右折したらあの行列のできる藪蕎麦よ、というあたりです。
そのシートの隙間から覗きますと高架アーチ脚の下が利用されていた撤去跡が見えます。
どうやらここらあたりから先は交通博物館の収蔵庫のように使われていたと思われます。
(4) レンガ造り高架#4

アーチ脚の下を覗きますと、大きな空間がありました。
どうやらここには史料がぎっしり詰まっていたようですね。
そのアーチが何連か続いた向こうには高架に接続する形で建屋への通路が見えます。
どうやらあそこが交通博物館の連絡通路、旧萬世橋駅の施設だったのでしょう。
(5) レンガ造り高架#5  (6) レンガ造り高架#6

ここからは萬世橋駅跡のレンガ積高架と道路が徐々に離れてゆき、
道路と高架に挟まれた土地に交通博物館の展示館を作ったのがわかります。
交通博物館は高架下の空間と萬世橋駅の施設を上手に利用して作られていたんですねぇ。


KODAK EasyShere V570


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昌平橋
それでは一服ついでに新聞読んでる爺さまと別れ、昌平橋を渡ってみることにします。
この橋の欄干は結構背が高いですね。おまけに歩車道別になってます。
欄干越しに眺める交通博物館跡もなかなかいい風情ではないですか。
高架上の手前側にある萬世橋留置線では以前本物の車両展示もイベントでやってましたよね。
(1) 昌平橋#1

橋を渡りきる寸前に中央総武緩行線の電車が走りすぎました。
鉄橋を渡る電車の音も普段は「うるさいなぁ」と思うのですが、
ここでは「まぁいいか」と許せてしまうのは、この和める景色のおかげでしょうかね。
(2) 昌平橋#2

ほぼ神田川右岸まで渡りきりましたが、
この昌平橋の背景としてはやっぱりこのレンガの連続アーチ以外には考えられません。
もし、これを壊して近代ビルにしたり、コンクリート高架にしてしまったら、橋が死んでしまいます。
(3) 昌平橋#3

右岸の橋銘板はひらかなで刻まれていました。
ここだけ切り取って眺めると都会のど真ん中であることを忘れさせられます。
(4) 昌平橋#4


KODAK EasyShere V570


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神田旅籠町
交通博物館跡をじっくり見る前に神田川沿いにちょいと遡って昌平橋まで行ってみましょう。
昌平橋のたもと、神田川左岸下流側まで来ますと小さな広場が整備されていまして、
(ホントは禁煙らしいですが)お散歩に来ていたお爺さんがちょっと一服、
美味そうにタバコを吹かしていました。いつもここで一休みして一服するそうです。
(1) 神田旅籠町#1

そこにこんな看板がありました。
この辺りは「神田旅籠町」と言ったんですねぇ、、、いい名前だ。
歴史からその街の様子まで想像できますね。
そんな由緒ある町名を何で味も素っ気もなく、由来も分からない名前に変えるんでしょうかね。
それでもこのあたりはまだマシな方ですね。関係ない代表地名+東西南北+丁目なんて最悪。
(2) 神田旅籠町#2

これが昌平橋です。通ったことはあっても、傍でじっくり見たのは初めてです。
有名な割には意外と小振りで地味な橋なんですね。
しかし、じっくり見ますと造りは凝ってるし、なかなかの名橋でありますよ。
(3) 神田旅籠町#3

ここから神田川の下流方向を眺めますと、、、この眺めもなかなかよろしいなぁ。
(4) 神田旅籠町#4

今度は橋の上流側を眺めてみましょうか。
この景色はお上りさんへの東京紹介パンフで見たことのある風景です。
左は中央快速線、川をダイナミックに斜めに渡る高架橋は中央総武緩行線、
その交わる向こうの方がお茶の水駅という構図になっています。
(5) 神田旅籠町#5

中央総武緩行線の高架橋の下を股覗きしてみましょう。
川面に近いところを低く渡る鉄橋は地下鉄丸ノ内線が顔を出すところですね。
その奥の高いところをコンクリートアーチ橋で渡っているのが聖橋ですかね。
折角だから丸ノ内線の電車が顔を出すのを待ってたら良かった、と今さら反省・笑
(6) 神田旅籠町#6

交通博物館の奥の方がこんな食堂街?になってたのは知りませんでした。
いつ頃からこうなってたんでしょか。考えてみれば、ここもまだ旧萬世橋駅の構内ですもんね。
レンガ造りの高架の続きが道路で分断されているだけで、不思議はないけど、
交通博物館が閉館してからも、こういうお商売で活用されているとは思いも付きませんでした。
(7) 神田旅籠町#7


KODAK EasyShere V570


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萬世橋
先日ネッ友daddyさんの掲示板で交通博物館跡と旧萬世橋駅跡が風前の灯火、
こんな記事がアップされていました。その少し前ですが私も気になって行ってきたんです。
出張で東京を駆け足で横断したときに秋葉原で途中下車して様子を見に。
同じ頃に同じようなものが気になって行ってたんですね。別に以心伝心ってことはないですが・笑

秋葉原の駅を出て、萬世橋に来ました。
見たとこ景色は以前と何も変わってないように見えますね。
(1) 萬世橋#1

萬世橋の上まで来て神田川の上流を眺めてみましょう。
左手に旧萬世橋駅、その高架下の交通博物館の跡が見えますが、
以前見た時のまま変わらず美しい姿を川面に映しています。
奥には昌平橋の姿も変わらず眺めることができます。
ここにある交番勤務のお巡りさんが羨ましいなぁ、なんて思ってしまいます。
(2) 萬世橋#2

萬世橋を神田方向に渡って振り返って見ても、ここの景色は変わってないですね。
このたもとにバラックみたいなジャンク屋さんがあって、
重電部品から工具からアヤシイ電子部品まで、所狭しと並べて売ってたんですが、
まだ同じようなものを並べて元気に商売してました。
(3) 萬世橋#3

旧萬世橋駅の高架下、交通博物館の展示室のあった場所はきれいなままで残ってました。
(4) 萬世橋#4

この日はこの後小一時間かけてちょっと様子を見にぐるりと一回りしてきました。


KODAK EasySare V570


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檜尾川の国鉄
この日の檜尾川堤防での撮影は阪急電車を目当てに来ましたが、
ちょっと合間に国鉄側の列車も撮ってみました。

この頃の国鉄で運転されている列車ではまだまだ貨物列車が大きな比重を占めていまして、
日中でもかなりの数の貨物列車が走っていました。
貨車も今のようにコンテナオンリー状態ではなく、種々雑多な種類の貨車を連結していて、
貨物列車自体を見ているのも楽しいものでした。
駅ごとの貨物扱いがあり、各駅停車の貨物列車なんてのも日に2本くらい走っていました。
京都-吹田間の貨物列車は各駅で入替をしていきますので、4時間くらいかかっていました。

下り貨物列車が走っていきます。牽引機関車は当時最新のEF65です。
このようにいろんな車種を繋いで走る貨物列車は、模型ファンのモデルとして人気がありました。
(1) 檜尾川の国鉄#1

今度の上り貨物列車は国鉄史上最大の貨物機関車EH10が牽いています。
8軸動輪の余りに巨大なボディのため2車体に分割して、2車体永久連結の形状になりました。
見たところ2両連結のようですが、これで1両です。
粘着力増強のためコンクリートの固まりを何トンも車体の中に積んでいる、文字通りの重量級です。
強力モーターが開発され、6軸のEF60、EF65が開発されたため、この頃には旧形式になっています。
(2) 檜尾川の国鉄#2

阪急が檜尾川を渡るところでは堤防上の道路は線路下に逃げて立体交差していましたが、
国鉄側では踏切になっています。線路の向こうで川が山裾に沿って急カーブしているのと、
旧西国街道沿いの民家が周りで集落を作っているために、道路を立体交差化できなかったからです。
新鋭の快速113系が踏切を通過して行きます。
(3) 檜尾川の国鉄#3

国鉄の各停電車は原則京都-西明石間を7両で走ります。
阪急あたりに比べると随分長編成ですが、それなりに乗客は乗っていました。
それでも京都-高槻間はラッシュでも乗客は少なく、日中も乗客はまばらになります。
そこで、朝夕ラッシュ時に高槻以西での折り返しで間引き運転することと合わせ、
日中の京都発着分は高槻で3輛を切り離して4両編成で運転することが多かったようです。
その4両編成の各停電車が走って行きます。
(4) 檜尾川の国鉄#4

この4両編成での運転は合理化のためこの後まもなく廃止となり、
全区間7両編成のみで運転するようになりましたので、
何気なく撮ったこの写真は貴重な記録になってしまいました。


1968.3.15
ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS Microfine



キリ番景品は本日当選の皆さんに発送いたしました。
到着までしばしお待ちください。

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阪急京都線各停
通常ペースに戻ります・笑
と言いましてもアーカイブものでお茶を濁しておりますが・・・


阪急京都線の各停は3連、または4連で運転されていました。
車種は旧型車が中心ですが、旧特急車はクロスシートをロングシートに改造し、
乗降の利便性を高めるようにしていました。

1世代前の阪急標準車体デザインの1300系です。
実はこの車両は元特急専用車で、2ドアの車体ががその名残をとどめています。
(1) 阪急京都線各停#1

勿論最新型の2300系も各停に投入されています。
この先頭車の2367号は冷房化改造されて今でも現役で走っています。
現在でも私は通勤時に時々乗り合わせるんですよ。
(2) 阪急京都線各停#2

各停には旧型車の710系(元特急車)、1300系(元特急車)、1600系、
そして勿論デイ100(Mc100,Tc1500)も2300系も使われていたんです。

それにしても阪急電車の編成は美しいですね。
高さも連結面もまるでずれなく、これを支えている足回りの良さが
乗り心地の良さに繋がるんですね。この編成美はピカイチだと思います。


1968.3.15
ASAHI PENTAX SV / SUPER TAKUMAR 135mm F3.5 / NEOPAN SS Microfine

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