一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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福山駅の客車
この当時山陽本線は全線電化されていましたが、支線の電化は殆ど進んでおらず、
旧私鉄の買収線である福塩線(福山-府中)などごく一部だけで電車が走っている状態でした。
それらの買収路線は元々機関車が牽く客車で運用するようにできていないからです。
電化された山陽本線でも大半の区間では電気機関車に牽かれた客車が普通に走っていました。

福山駅で福塩線の電車を追いかけている時も、そんなローカル客車列車が発着していました。
やってきた鈍行は、多分糸崎・三原あたりと広島・岩国あたりを結ぶ客車列車でしょう。
その編成の中にスハ32という戦前の初代鋼製20m客車を見つけました。
既に幹線から姿を消しつつある客車で、京阪神ではなかなか見ることができなくなっています。
ついつい懐かしくなって撮ってしまいました。


(1) 福山駅の客車#1

(2) 福山駅の客車#2


1970年になりますと、そろそろ世間ではSLブームに火がついてきて、
マスコミに煽られたにわか鉄ちゃんが急増し、あちこちで撮り鉄が出没するようになり、
あれほど親切だった国鉄職員からも疎まれるようになってきて、いろいろやりにくくなってきました。
あくまでも業務のじゃまをしないという最低限のマナーさえ守られなくなって、
あちこちでトラブルも起こるようになってきましたので、仕方ないことかな、とも感じます。
私の鉄道趣味も、撮り鉄から乗り鉄になってゆきました。
カメラを持ってうろうろすること自体が何かはばかれるように感じてきたからです。
この福塩線の旅もほぼ乗り鉄に徹し、フィルム1本でも撮り残しで余らすようになっていました。
ちょうどこの頃が私が鉄写真を積極的に撮らなくなった分岐点かなぁと感じています。

この日もこの後は鈍行の客車で岡山に向かい、岡山から当時非電化の赤穂線(西線)で播州赤穂に行き、
播州赤穂から当時は旧型電車でチョン行だった各停で相生に出て、そこから80系の快速で帰ってきました。
昼頃には福山駅を発ったのですが、帰宅した時は夜になっていました。カメラは一度も出しませんでした。


1970. 11. 14 山陽本線 福山駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

福山駅の国電2
福塩線のホームで発車待ちの電車がいましたので、見に行きますと、
これは朝始発で私たちが乗っていった電車と同じく17m車の2両編成ですね。
明るい所で見ますと、よりクラシックさ加減が伝わってきます。


(1) 福山駅の国電2#1

(2) 福山駅の国電2#2


例によって連結面を・笑
左側のクハ16は外装が溶接構造、右側のクモハ11は外装がリベット構造になっています。
昭和初期は車体外板がリベット接合から溶接接合に移行する過渡期にあたります。
わずかな製造年の違いが外観にも大きな影響を与えています。
この時期に生産された電車には同型番でもリベットと溶接の2種類が存在するのが多くあります。
ちなみにクモハ11はクモハ12の片運転台バージョンで、運転台以外の基本仕様は一緒です。
クモハ12は両運転台で単行で営業運転ができますが、クモハ11は最低2両編成を組まないといけません。


(3) 福山駅の国電2#3


結構乗客が乗っていますね。座席は全部埋まり、立ち客もかなり乗っています。
この頃はこの地域の重要な足であったのがよく分かります。
現在は車社会になり、1両か2両でも空席が目立つようです。

DT11台車の吊掛モーターの乗り心地を楽しむのでしたら、
このドアポケット横の座席に座るのが特等席、お尻で感触が楽しめます・笑


(4) 福山駅の国電2#4


そうそう、吊掛モーターの感触を楽しむなら、クモハかモハ、動力車に乗って下さいね。
クハやサハに乗っても付随車にはモーターが搭載されていませんので、感触は伝わりません。
蛇足の説明ですけど、念のため・爆


1970. 11. 14 山陽本線・福塩線 福山駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


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福山駅の国電
写真撮影もそこそこに、福塩線の往復乗車で吊掛電車(台車)の乗り心地を堪能し、福山駅に戻ってきました。


(1) 福山の国電#1


この頃の福山駅構内はゆったりとしていて、側線もたくさんありました。
そこに福塩線の電車が1編成、パンタグラフを下ろして留置されていました。
この編成は昨日アップした記事の(3)下り525M3連で鉄橋を渡っていたやつですね。
下りで走って行ったのが上りで戻ってきて、次の出番まで暫しの休息でしょうか。



(2) 福山の国電#2


後方に福山城が見えますね。
現在この電車が停まっているあたりは新幹線の高架が覆い被さり、
このように広い景色の中でお城を眺めることなどできなくなっています。

私は鉄ちゃんのジャンルで言いますと「線路フェチ」、「配線フェチ」とも言いますが、
駅や路線の合流や分岐する線路配線を見たり考えたりするのが好きなのです。
その線路配線を元にどんなダイヤが組めるのか、なんてのを想像します。
ですから、線路がいっぱい引かれている光景を見ると、それだけでワクワクします。

そしてもう一つは列車の連結面を眺めるのが好きなんです。「編成フェチ」とでも言いましょうか、
種々雑多な顔つきの電車や客車や貨車が連結器でつながれている所、
その組み合わせや連結方法を眺めるのも好きなんです。
そしてそれらがつながった状態の編成、ここに編成美という美しさを感じるのですよ。
電車には奇数車と偶数車があって、中には方向転換車があって、なんて楽しみもあるのですが。
野球の打線オーダーを組むのに似てると思うのですが、、、違いますかねぇ・・・


(3) 福山の国電#3


ここ福山駅でも留置車がじっとしているのを幸い、連結面をじっくり観察していました。
広島寄りの1両目クハ16と2両目のクモハ12の連結部分です。
クモハ12は両端に運転台がついており、広島側の運転台はオリジナルの貫通式ですので、
連結部分は隣の車両に人が通りぬけられるように貫通幌がつけられています。
クハは片運転台なので連結面には運転台はなく、連結面まで乗客用の座席があります。
まぁ、これは普通に見られる連結面です。


(4) 福山の国電#4


2両目のクモハ12の反対側の運転席は、元々片運転台の車両を両運転台に改造しており、
戦後の改造時点で安価で早い63系の運転台ライクにされましたので非貫通、
隣に車両がきて連結しても隣の車両には乗り移れず、連結幌もつけられません。
2両目と3両目はこのような状態で連結されたまま3両編成で運転されますが、
2両目と3両目を人は行き来できません。3両目の連結部の扉は鍵をかけて閉め切っています。


(5) 福山の国電#5


クモハ12のボギー台車は昭和初期のモハ31時代からずっと履き続けている古色満点のDT11、
クモハ41のボギー台車は戦前でも少し新しい改良型、20m車標準のDT12を履いています。

運転席のない連結面に鍵かけて、連結扉を閉じたままで客を乗せて走る電車なんてねぇ、、、
「こんなのありかよ」と思われるかもしれませんが、一昔前までは結構普通に見られた光景です。
東京圏では南武線や横浜線で、関西地区では阪和線や関西線で10年あまり前までよく見かけました。
現在でも編成中に運転台同士が向き合って行き来できない、そんな電車はよく見かけますよね。
まぁ、こういう些末事でも十分楽しめるのが鉄道ファンなのであります。  変かなぁ・・・・笑


1970. 11. 14 山陽本線・福塩線 福山駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

福塩線の電車
N君と始発電車に乗り、とりあえず朝のうちに写真を撮ろうと沿線から電車を狙いました。
ところが撮影データに電車の列車番号などはあるのですが、肝心の撮影場所が書いてありません。
福山駅-府中駅間なのは確かですが、周りの景色から思い出せればいいのですけど・・・・
1ヶ所に留まってその範囲で動いたのではなく、途中で全然別の場所に移動しているかもしれません。
大阪から府中までの往復切符を買って行ったはずですので、経済的事情で複乗は考えられません。
福山から府中に向かい、府中から福山に戻る単純な往復乗車中に途中下車しているはずです。
乗車がメインで、片道は絶対乗り通し、とりあえず撮ったという行程です。
(1)~(5)は撮影順に並べてあります。写真下の注記は残っていたメモです。


(1) 福塩線の電車#1
   上り526M クモハ41+クモハ41+クハ16 1/30 f2.8


(2) 福塩線の電車#2
   下り523M クモハ41043+クハ16212 1/30 f2.8


(3) 福塩線の電車#3
   下り525M 3連 1/125 f5.6


(4) 福塩線の電車#4
   上り528M 4連 1/125 f5.6


(5) 福塩線の電車#5
   下り527M 3連 1/125 f5.6


この頃の福塩線の電車は、17m車、20m車が混在しており、
2連、3連、4連とその組み合わせは実に多彩でした。
架線の張り方も簡易的であり、まさに田園地帯を走るローカル線そのものの景色でした。

読者の皆さんの中で撮影場所が特定できる方がいらっしゃいましたらお教え下さい。

(1)は神辺(かんなべ)駅北方の高屋川の橋梁ではないかと思うのですが・・・
橋脚跡は1967年に廃止になったナローの井笠鉄道の痕跡、
現在井原鉄道として再敷設された線路位置ではないのかなぁ、と。
ならば、(2)(3)は同じ場所なのかなぁ。
(4)、(5)は湯田村(ゆだむら)駅あたりかもしれんですね。

上戸手(かみとで)駅、神一(しんいち)駅あたりも捨てきれんと思うんですが・・・・
ひょっとしたら福山駅に近いところかもしれんし、、、、全く分かりません。


1970. 11. 14 福塩線沿線
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


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福塩線福山駅
アーカイブものです。

鉄友でもあり写友でもある神戸のN君と誘い合って福塩線(ふくえん・せん)の電車に乗りに行きました。
鉄ちゃんのジャンルで言うと、どちらかと言うとN君は乗り鉄になります。
今回の装備は標準レンズのついたカメラ1台のみで、乗り心地を楽しむことにします。

この当時、福塩線には昭和初期の鋼体化した17m電車が生き残っていました。
近々20m車に置き換えられるという話が伝わってきましたので、
戦前の17m吊掛車の乗り心地を楽しんできましょうというツアーです。
例によって深夜に大阪を出る夜行に乗り、早朝未明に福山駅に着き、福塩線始発に乗ります。

朝まだ明けぬうちに福山駅に着きまして、北端にある福塩線のホームに向かいます。
当時は、当然新幹線の影も形もなく、現在は新幹線と福山城の谷間にある福塩線のホームも
山陽本線のホームと同じ並びにありました。


福塩線の始発電車は既にホームで待機しており、もう乗り込める状態になっていました。
17m車2両編成の電車は20m車にはないノスタルジックな雰囲気で佇んでいます。

(1) 福塩線福山駅#1

後方から眺めても、いい感じですねぇ。

(2) 福塩線福山駅#2

先頭車はクハ16405です。

(3) 福塩線福山駅#3

2両目はクモハ12040です。
リベットだらけの車体が時代を感じさせます。

(4) 福塩線福山駅#4

こちら側の運転席は更新改造の時に戦後の車両に合わせて新設されていますので、
レイアウトなどは見慣れた63(73)系と同じように見えます。

(5) 福塩線福山駅#5

車内は更新改造の折りに運転席同様に新しくされていますが、
木目の目立つ内装などに旧国電の香りがプンプンします。


吊掛駆動方式は、台車内のモーターと車軸が平ギアで直結されていて、
モーターの回転が平ギアで減速されて直接駆動軸に伝わる古典的な駆動方式です。
モーターが車軸と台車枠の間に置かれた状態、車軸と台車枠に吊り掛けられた形になるので、
「吊り掛け」という呼称は、この実装方式からからきています。
起動時や加減速時のモーターの挙動が直接乗り心地で分かりますので、
今でも懐かしむファンが多い方式です。


福塩線は、広島県福山市の福山駅から広島県三次市の塩町駅に至る総延長78Kmの地方路線です。
福山駅から23.6Kmの府中駅までは電化されており、残る府中駅から塩町駅の間は非電化です。
ですから、福塩線では府中を境に完全に運転は別系統、北線はディーゼルカーで南線は電車です。
北線は塩町駅で芸備線に連絡していまして、芸備線内の三次駅までを直通運転しています。

元々は南線部分が両備軽便鉄道として1914年(大正3年)に設立された地方私鉄を母体として発足し、
当初はナローゲージでしたが、1927年(昭和2年)に福山から府中までが電化されました。
その後1933年(昭和8年)には国有化され、1935年(昭和10年)には国鉄ゲージ(1067mm)に改軌されました。
一方北線部分は1933年(昭和8年)に国鉄が北から順次敷設して線路を延ばしてゆき、
1938年(昭和13年)に南線と北線がつながって全通、ほぼ現在に至る姿になりました。


1970. 11. 14 福塩線 福山駅     f2(開放)、1/30秒
NIKOMAT FTN / NIKKOR-H Auto 50mm F2 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

眩しい!
 
眩しい!#1


相変わらず猛暑が続いています。
毎朝通勤で利用する大阪モノレールの南茨木駅でも晴れていればこんな調子です。
まぁ、このところ滅多に曇ったり雨が降ったりしませんので、毎朝これですわ。
眩しすぎて、まともにこの方角は見られません。


眩しい!#2


考えてみれば立秋を過ぎ、夏至からは2ヶ月近く経っているんですよねぇ。
冬至から2ヶ月ちょっと前の10月下旬の日差しと同じはずなんですけどね。
気温15℃前後のその頃の日差しは凄く暖かみのあるありがたいものに感じるのですが、
現在のこの日差しは、既に気温30℃前後になっていますので、誠にうんざりでありますよ。
あとどれくらい我慢すればいいんでしょうかねぇ、、、、まだまだ我慢の子で頑張らないと・涙


KODAK EasyShere V570


上伊集院12
九州汽車旅 36


D51牽引の上り貨物列車が入ってきました。
交換待ちで暫く停車するようです。

(1) 上伊集院12#1

ホーム先端のちょうどいい位置に停まってくれました。

(2) 上伊集院12#2

機関士も降りてしまい、暫くここで待機しているようなので、
せっかく間近で見られるのですから九州仕様のD51詳細を拝見しましょう。

門鉄デフのD51は珍しいのですが、なかなか似合っていますね。
C55、C57、D50/60などでは凝ったデザインのものが多いのですが、
D51のは下半分を切り落としただけのようなシンプルなのが多いですね。
それでも、通常デフのものと大分印象が違います。
このD51272の門鉄デフは下部に微妙な加工がされていて、少し拘りを感じます。

(3) 上伊集院12#3

(4) 上伊集院12#4

蒸気機関車のメカメカしい印象はこのアングルから見るのが一番好きなんですが、
ファンの間では、アングルに関しては好みが分かれるようです。

(5) 上伊集院12#5

実際に走行している蒸気機関車のシリンダー周りはなめらかな金属の輝きがあって美しいですね。

(6) 上伊集院12#6

キャブのナンバープレートが標準位置より前に突き出したように付け替えられていました。
実はこのプレートの後ろ側のスペースにはタブレットホルダー受けがついていたんです。
タブレットで閉塞運転する時には、駅や信号場で必ず駅員と機関士(助手)が手渡しするのですが、
高速で通過する時にはかなりショックがありますし、人によって手の出し位置が違ったりして、
受け渡しに失敗することもあります。失敗すると列車を止めてタブレットをもらい直さないと
そこから先に進めません。何百m過ぎても走って戻って拾わないといけません。
通過する時などにはいろいろ忙しいし、受け渡しミスが出ないように、
駅員からこのタブレット受けに引っかけてもらえるようになっています。
タブレット受けはレバー式の折りたたみになっていて、必要時に起こして使います。
高速運転する路線などではこのように改造された機関車をよく見かけました。

鹿児島本線など近代化が進んだ路線では閉塞は自動信号機でコントロールするようになっていますので、
このタブレットホルダー受けは必要なくなっていました。
そこで、工場に整備入場する時などにこれを取り外してしまいますが、
ナンバープレートを元の位置に戻さないことも時々あって、その名残が残っているのです。

(7) 上伊集院12#7

いろんなことを考えながら、つらつらと拝見していましたら、いつの間にか列車交換が済んで
そろそろ発車時間になったようです。機関士も戻ってきてあちこちから蒸気の噴き出す音がし出し、
ひとしきりコンプレッサーがカッポンカッポンと鳴った後、じんわりと発車して行きました。

(8) 上伊集院12#8

この撮影がこの時の九州汽車旅ラストショットです。
長々とアーカイブにおつきあいいただきありがとうございました。


1969.3.7 鹿児島本線 上伊集院駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-P Auto 105mm F2.5 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分




実はこの日の夜行で直方に向かい、2日目に雨のため乗り鉄で下見した筑豊を回る予定でした。
夜行鈍行では前回同じ列車に乗った時の車掌さんに出会い、車掌さんから「あんたも頑張るねぇ」
なんて言われたのですが、鉄ちゃんの強行軍が珍しい頃なので覚えてくれていたんですね。

ところが、この夜行に乗った頃から何となくボーっとした感じがしていて、
直方で降りた頃には少しふらつく感じになってしまいました。
どうやら疲れが溜まっていた上に上伊集院での雨がポツポツで風邪を引いてしまったようです。
駅前の薬局で風邪薬を所望したところ熱を測ってくれまして、何と38度、、、、
「あんた、帰って汗かいて寝てなさい」と言われてしまいました。
自分でもこれ以上はムリかなぁ、なんて感じてしまいましたので博多に移動し、
その時に来た大阪に直行する急行で帰宅することにしました。

幸い昼行急行がうまくあったので、それに乗って帰宅しました。
どの列車に乗って、どんな車窓風景だったのかは全く覚えていません。
天気が良かったのだけは覚えていますが、多分爆睡朦朧状態で大阪まで戻ったのでしょうね。

ということで、均一周遊券の有効期限いっぱい頑張るつもりの九州旅行は尻切れトンボ、
それ以来リベンジも果たせぬままで終わってしまいました。
ここまでの汽車旅には十分満足できましたが、周り残しがあったのが今でも悔やまれます。
それでも、今からか思い返せば、よくまぁ1泊8日なんてハードな旅をやったもんだと思います。
まぁハタチなればこそできたムチャ旅行ですね。


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上伊集院11
九州汽車旅 35


朝から粘っていた線路際の撮影ポイントから上伊集院駅に引き上げてきました。
ここで何本かお目当ての列車を撮影して今日のところは終了とすることにします。
どうやら雨が本気で降ってくる空模様になってきまして、ホームもやってきた客車の屋根も濡れていました。

西鹿児島発東京行きの上りブルートレイン「はやぶさ」がやってきました。
どういうわけか、残念ながら列車愛称板がついていませんね・涙
せっかくの特急なのに時々このように看板のついてないことがあるんですよ。

(1) 九州汽車旅34#1

ブルートレインのリアビューは、やはりこの初代20系のが一番いい感じだと思います。
「はやぶさ」は交換待ち停車をすることなく低速でゆっくり駅を通過して走り去りました。

(2) 九州汽車旅34#2

「はやぶさ」は鹿児島本線を通るため、日豊本線経由の「富士」に踏破距離でほんの少し負けるものの
東京-西鹿児島間をほぼ1日かけて走っていました。
この写真を撮った当時は東京-長崎間の8両編成とこの8両編成を併結し、
鳥栖で分割併合していました。京阪神と結ぶ「あかつき」と同パターンでの運転です。


暫くしますと今度は下りの急行列車がやってきました。
この列車名は資料がないので確認できませんが、夜行で京阪神か東京から走ってきたのでしょう、
冷房付きの1等座席車と2等寝台車を連結していました。

(3) 九州汽車旅34#3

この列車も低速で駅を通過していきました。
ここから広木信号場までは別新線を敷設して複線化されましたので、
下り列車は運転停車の必要がありません。
列車は新線となった下り線を進み、トンネルに入ってゆきます。
トンネル入り口の右手に分かれて行く線路が単線時代の旧線、
複線化後は上り線となったルートです。
構内には既に電化に備えた準備工事で架線柱のコンックリート電柱が立ち並び始めています。

(4) 九州汽車旅34#4

ここに来るのが数ヶ月前なら、まだ新線は開通しておらず、盛んに単線の列車交換が行われ、
逆に数ヶ月遅かったら電化準備工事で架線柱が林立していたのではないかと思います。
先の切り通しで見たいい景色も電化と複線化で数年後には見違える光景になったでしょう。
私が訪れた時は、ちょうどその狭間の旧景と新景の両方が見られた微妙な過渡期でした。


1969.3.7 鹿児島本線 上伊集院駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-P Auto 105mm F2.5 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

上伊集院10
九州汽車旅 34


さて、時々ポツポツと降る天気は回復する気配もないし、C60は今日はもう来ないと言われたし、
そろそろ引き上げるかなぁ、で次のシーンへ、、、、と思ったら出し忘れがありました。
ぼちぼちと各地で走りだし、何かと目立ってきた無煙化の主役、
メイン機の本命としての活躍が気になってきたDD51をまだ出してませんでした。

この頃になるとよほどのことがない限り客車特急・急行の牽引機はディーゼル機関車になっていました。
走行距離と牽引力で難のあるDF50も残ってはいましたが、DF50は徐々に一般列車牽引に回り、
急ピッチで増備されつつある新鋭のDD51に交代しつつありました。

そのセオリーどおり、DD51が下りブルトレ「あかつき」を牽いてやってきました。
「あかつき」は新大阪-長崎または佐世保の編成と新大阪―西鹿児島の編成を併結し、
鳥栖で分離して長崎・佐世保方面8両と西鹿児島方面8両で1日2往復運転されていました。
当時は熊本以南は非電化、鳥栖-西鹿児島間260KmをDD51がロングランで走り抜けていました。
ブルトレらしくDD51の前面に特急愛称板を掲げています。
よく見ると、チョイ手ぶれしております・涙

(1) 上伊集院10#1

ちなみにこの頃の鳥栖―長崎・佐世保間の牽引機関車は、まだ蒸気機関車のC60でした。
翌年熊本―西鹿児島間が電化されたときに牽引機は電気機関車ED76となり、門司―西鹿児島をロングラン、
鳥栖―長崎・佐世保間の分離された編成の牽引機関車もDD51に変更されました。


更にやってきたのは、連結されている客車の雰囲気から下り夜行急行だと思います。

(2) 上伊集院10#2

(3) 上伊集院10#3


このように、DD51は無煙化のパイオニアであるDF50を格下げさせたり追い出したりし、
追い出されたDF50は蒸気機関車を追い出しという連鎖で、優等列車からじわじわと一般列車に、
そしてより重要度の高い幹線から亜幹線、ローカル線へと順々に蒸気機関車を駆逐していったのです。
ですので、DD51は当時の蒸気機関車ファンからは「ぶっさいくな悪魔」と謂れなき非難を浴びました。
国鉄無煙化の優等生も、当時は鉄ちゃんからは疎まれる悲運のエース、ヒール役なのでした。

ちなみに、現在残るDD51は寄る年波と世代交代で激減し、「北斗星」を牽引する重連を筆頭に、
各地で鉄ちゃんから希少機関車として持て囃され、今や人気絶頂であります。皮肉なもんですね。


1969.3.7 鹿児島本線 上伊集院駅-薩摩松元駅間
NIKOMAT FTN / NIKKOR-P Auto 105mm F2.5 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


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上伊集院9
九州汽車旅 33


信号機の前で写真を撮ろうと待っていましたら、3~4人連れの保線のおっちゃんが来ました。
カーブの向こうからこっちに来て、当然カメラ構えてるアタシを見つけ怪訝な顔になるわけでして、、、、
「何しとる? 写真撮ってるの?」
『ハイ、汽車の写真撮りに来ました』
「ほぅ、汽車が好きなんや。どこから来た?」
『大阪です』
「えらい遠いところから来たな。なんでここに来た?」
『ここを地図で調べたら、ええ写真が撮れる思うて・・・』
「ようこんな場所に目をつけたな」
「ええカメラ使うとるな。やっぱりニコンはええな」
こんな感じの会話をしていると、上伊集院を発車してトンネルに入る汽笛が聞こえました。

ということで、おっちゃん監視のもとD51牽引の上り貨物列車を撮りました。
上伊集院駅で交換待ちをしていて、発車直後のトンネルを惰行で流し、トンネル抜けて加速中、
おまけに荷が重いせいか下り坂ですが煙を吐いての力行でした。
3‰から10‰の下り坂に移ってまた惰行運転という算段でしょう。

(1) 上伊集院9#1

(2) 上伊集院9#2

(3) 上伊集院9#3


おっちゃんのひとりが結構写真好きなようで、私が撮り終わったら、
「なかなかやるやないか」みたいな感じで誉めてくれました。
お世辞でも誉められると嬉しいもの、その後機材やどんな所へ行ったみたいな話をしていると、
「せっかくだから記念写真を撮ってやるよ」ということで撮ってもらいました。

(4) 上伊集院9#4

連夜の車中泊とハードスケジュールで少々精気が失せてますね・笑
このフィルム(7本目)のラストカットなので巻きなおしの時にできたネガ傷が出ました。

おっちゃん達は信号機を点検してから薩摩松元方面に線路を点検しながら歩いて去っていきました。
去り際に、「気をつけてええ写真撮れよ」みたいな声をかけてくれまして、嬉しかったですね。
話の中で、C60を見に来たけど余り走っとらんという話をしましたら、
この日はもう夕方まで来ること無いぞと言われ、そろそろこの場所も潮時か、
天気も悪いし引き上げるかなぁ、という気になりました。
C60が来てくれるのが分かったらもう少し粘るつもりだったのですが。


1969.3.7 鹿児島本線 上伊集院駅-薩摩松元駅間
NIKOMAT FTN / NIKKOR-P Auto 105mm F2.5 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

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