一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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秋色の万博公園
今年の紅葉は遅れ気味と言われておりましたが、
ちょうど今頃がピークとの話を聞き、先週の日曜日に万博公園に行ってきました。

秋色の万博公園#1

好天に恵まれ、少し動き回ると汗ばむほどの陽気で、万博公園の自然文化園も結構な人出でした。

秋色の万博公園#2

ちょいと一服と座った休憩スポットのテーブルにはこんな置き土産もありました。

秋色の万博公園#3

今年は黄葉がイマイチと言われておりますが、今年の紅葉は実にきれいに染まっておりました。

秋色の万博公園#4

秋色の万博公園#5

公園の中心部は人をかき分けてという混みようでしたが、
周辺部に行きますと人もすっかり少なくなり、それぞれの秋を堪能できるのであります。

秋色の万博公園#6


暫くぶりで訪れた万博公園を2時間ほどかけてゆっくり散策、秋の空気を存分に吸ってきました。


FUJIFILM FinePix S5 Pro / TAMRON AF 18-200mm F3.5-6.3 XR Di II LD Aspherical [IF] MACRO (A14)


テーマ:紅葉 - ジャンル:写真

心斎橋??
さてもう1本、阪急本通商店街から今度は南へ丁字路で分かれる付属商店街の路地がありました。
こちらは本格的なアーケードもあり、そこそこお店も開いていまして、はやっているようです。

入口の看板を見ると、、、、んん?!  心斎橋!!!!!

心斎橋??#1

世に○×銀座と名のつく商店街は数多ありますが、さすがに横筋だし遠慮したのでしょうか。
それにしても、今はともかく、かつてはハイソなショッピング街として鳴らした心斎橋を名乗るとは・・・・
ん~~~、でもぉ、、、、心斎橋とは雰囲気が違うなぁ・・・・・

心斎橋??#2

東西に走る阪急本通商店街では、どうやら南に分かれる筋の方が北に分かれる筋より圧倒的に人通りが多いようです。
南側にはほぼ並行して東西に通る駅から市役所に通じる幹線道路がありますが、
北側はそのまま古い住宅街に突っ込んでいく地の利の違いがこういう結果になったのでしょうか。


FUJIFILM FinePix F550EXR


テーマ:街の風景 - ジャンル:写真

商店街の横筋
暫くぶりに更新する時間が取れました。  (^◇^;)

茨木市駅前から延びる阪急本通商店街ですが、途中で何本か交差したり分かれる道があります。
そのうち何本かは商店街の延長線上にある商店が並んでおります。

その中の1本、商店街から丁字路で北に分かれる付属商店街がありまして、
日除け、雨避け屋根がついてはおりますが、シャッター街の様相で閑散としておりました。

商店街の横筋#1

何とも寂しい景色ですね。
本通りの方はそこそこ活気のある商店街で頑張っておりますが、
そこからちょっと外れると相当厳しい地方都市の様相を呈します。

商店街の横筋#2

最近は賑やかな都心部の繁華街でも競争が激しく、
閉店、開店の入れ替わりが激しく、新規、或いは新装開店しても半年保たずに消える店もあります。
頑張っている既存店でも相変わらず不景気に喘いでいるようです。


FUJIFILM FinePix F550EXR


テーマ:街の風景 - ジャンル:写真

変貌する大阪駅
最近はとんと都心部に出掛けることがなくなっておりますが、
何ヶ月ぶりかで大学時代の友人達と食事会をしようということで梅田に出ました。
さて、雨模様の中、これも久しぶりに高いところから大阪駅を眺めてみますと、
あれだけ存在感を誇っていた駅のホームや線路は、すっかりビルの谷底に埋もれてしまいました。
いやぁ、まるで景色が変わってしまっていまして、今浦島状態で感動してしまいました。


変貌する大阪駅#1


中央に見えるなだらかなスロープ状の大屋根がリニューアルJR大阪駅の大屋根です。
画面手前側が新大阪・京都方面、奥に行く側が神戸方面になります。
この下のホーム上フロアは自由通路や改札口になっていまして、アクセスが格段によくなりました。

その大屋根を挟んで南北にあるビルが大阪ステーションシティです。
南(左)側は元々あったビルで、以前はアクティ大阪と呼ばれ、
大丸百貨店やホテルグランヴィア大阪が入っています。
現在はサウスゲートビルと呼ばれており、元々の大阪駅正面口になります。
北(右)側は今年開業したノースゲートビルで、
三越伊勢丹百貨店、ルクア、シネコンなどの複合商業ビルになっています。
屋上緑地は憩いの場として人気がありますが、あそこに辿り着くのは結構ホネで、
そこそこの運動になりますから、それだけで健康志向の人には好評のようです。

ノースゲートビルと道路を挟んで向かい合っているのがヨドバシカメラで、
つい何年か前には駅北にはこのビルしかありませんでした。
ここはその昔、国鉄大阪鉄道管理局、関西国鉄の元締めがあったところです。

ヨドバシの後方に工事中のビルがありますが、
ここは梅田貨物駅跡地の第一期再開発がいま真っ盛りの場所です。
ノースゲートビルの後方、再開発工事中のビルとの間に見える背の高い細く見えるビルは梅田スカイビルで、
あそこの地上150m超の高さから何度かこの大阪駅北再開発の模様をレポートしました。

撮影している阪急グランドビル31階の足元でもクレーンが林立してビル工事をやっていますね。
このあたりは阪急百貨店を中心とした阪急村の再開発が急ピッチ、
半年後、1年後にここから眺めると、また景色が変わっているのでしょう。


過去記事 ===> 大阪駅北口大阪駅北口・2貨物駅展望


FUJIFILM FinePix F550EXR



10日ほど前から老母が風邪を拗らせて寝込んでおります。
今日になっても寝たり起きたり、足元も危ういので目が離せません。
このところネットを巡回して、とか記事をアップしてということがままなりませんので、
暫く読者の皆さんや巡回先のオーナーに不義理してしまいますが、ご容赦ください。
母親が元気になりましたら、また彷徨きますので、よろしくご理解ください。


テーマ:街の風景 - ジャンル:写真

阪急本通商店街
阪急京都線茨木市駅も、だいぶん以前に駅前がリニューアルされて、
広いバスのロータリーもでき、すっかり今どきの郊外都市の駅前に変貌しました。
昔の平地を電車が走り、駅前まで家が建て込んでいた頃を知っているだけに、今昔の感を深くします。

阪急本通商店街#0

阪急茨木市駅から元茨木川遊歩道へ向かうのに、今回は駅前商店街を通ってゆきました。
阪急電車の高架工事と並行して進められた再開発ビルを抜けると、昔からの駅前商店街があります。

阪急本通商店街#1

商店街の長さは、現在は400mほど、東西一直線に延びております。
駅前の再開発ビルを抜け、商店街に入りますと、昔ながらの風景ではありますが、
アーケードなどそこそこ整備されており、結構明るく人通りもあります。

阪急本通商店街#2

その商店街の西側終端部になりますと、アーケードの天井照明も消え、人通りも少なく、
何となくうらぶれた雰囲気になって来ます。同一商店街でも地の利は格段に違っています。

阪急本通商店街#3

商店街の終端部を抜け真っ直ぐ突き当たりますと、大同2年(807年)創建の茨木神社になります。
素戔嗚尊を祭神とする由緒ある神社で、神社の向こう側が元茨木川遊歩道になります。

さて、この商店街の中ほどには立ち食いうどん屋があり、お安く小腹を押さえることができます。

阪急本通商店街#4

お昼時を少し過ぎた時間帯でしたが、親子連れが仲良くお昼を食べていました。

阪急本通商店街#5

商店街をクロスする路地が何本もあるのですが、古い町だけに店舗を建て替えたからでしょうか、
町の祠が軒下に埋め込まれるようにひっそりとありました。元々は小さな祠だったものを移したのでしょうね。

阪急本通商店街#6


FUJIFILM FinePix F550EXR



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川端康成文学館
川端康成文学館#1


ノーベル文学賞に輝いたかの川端康成が、茨木市の縁者であることは案外知られておりません。
伊豆の踊子、雪国などの作品群からは生粋の関東人かもと思われるのですが、
意外と出身は大阪なのでありまして、幼少時代をここ茨木で過ごしているのでありす。

川端は大阪市天神橋近傍で生まれ、幼くして父を、程なく母を亡くし、
祖父祖母の元で育てられましたが、その幼少の頃からこの茨木市(三島郡豊川村)に住まいました。
豊川尋常高等小学校(現在の茨木市立豊川小学校)に入学、その後名門大阪府立茨木中学校
(現在の大阪府立茨木高等学校)に首席で入学したとのことであります。
笹川良一とは小学校の同級生、大宅壮一は中学での下級生だったそうです。
小学校在学中に祖母を亡くし、中学在学中には遂に祖父も亡くし、と家族には恵まれなかったようです。

旧制中学卒業後、東京の従兄を頼って上京し、一高から東大へと超エリートコースを進んでいます。
文学に目覚めたのは中学に入ってまもなくとのことで、本の虫だったとか。
そんなご縁でここに川端康成文学館が設けられているのです。

全長5Kmほどにもなる整備された元茨木川遊歩道の北端近くにありますので、
遊歩道にも人が途切れ、実に静かなところにあります。

川端康成文学館#2

このあたりは遊歩道沿いに市役所に通じる川端通という対向2車線の道路が通っており、
この名称は茨木川の川端という由来のようで、川端康成にちなんだものではないそうです。
川端康成文学館は、その道路沿いにひっそりと建っています。

川端康成文学館#3

ここには直筆墨書や原稿など、貴重な資料も展示保存されているようです。


川端康成文学館#4


FUJIFILM FinePix F550EXR


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気の早いことで
気の早いことで#1


今月に入ってから職場のある千里中央のSC中庭広場でトンテンカン、トンテンカン、
何やら大物工事を始めましたので、何ができるのやらと思っておりました。

できたのはこれ、クリスマスツリーであります。
まだ立冬を迎えたばかりというのに、何と気の早いことよ、とビックリであります。

こういう飾り付け、というか景気づけが年々早まってきている気がしますね。
いつもの一服ゾーンから覗いてみたらこんな雰囲気になっていました。
気の早いことで#2

かなり傾いてきた早朝の朝日は、まだ広場に差し込んでおらず、寒々として見えます。
この飾り付けの横では毎月の花市の設営もあり、主にプランタン用の小さな生花を並べておりました。

台座の高さは大人の背丈ほどもあって、広場に下りますと見上げて首が痛くなります。
気の早いことで#3


夕方の退勤時にはもう日が落ちて暗くなっているのですが、
さすがにイルミネーションのライトアップはまだでした・笑
それにしても、忙しないですねぇ。


KODAK EasyShare V570


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勝龍寺城跡 3
それでは勝龍寺城公園内を少し眺めてみます。
大手門手前の防御エリアには長岡京市の友好都市である中国寧波市から贈られた石柱があります。
友好都市20周年記念として2003年に贈られたものです。
青石製の雲龍石柱と言うそうで、雲間を天に昇る龍が細かい細工で彫られています。

勝龍寺城跡 3#1

城内はこのような散策道が一巡していまして、小学校の運動場より狭い、
さほど広くない場所ですから、簡単に回れてしまいます。

勝龍寺城跡 3#2

勝龍寺城跡 3#3

城内北門の横にはなぜか地蔵堂がありまして、いつ行っても花が供えられています。

勝龍寺城跡 3#4

城壁の北東角、ちょうど堀が直角に曲がるところには櫓がありまして、現在は休憩所になっています。
現役当時は敵軍が攻めてきた時の防御射撃の待避所、補給所に使われたものだと思われます。
屋根の上には先に発表しました川鵜がおります・笑

勝龍寺城跡 3#5

城壁にある土塀はこんな構造になっていました。
少し薄いように見えますが、現役当時にはこの倍ほどの厚さがあったのではないでしょうか。

勝龍寺城跡 3#6

最後に西側の堀のないところ、岩田丸跡に登ってみますと、結構な高さになっており、
外を眺めると市街がこんな風に見えました。自然地形を生かしたこの高さなら敵も攻めあぐねるでしょう。

勝龍寺城跡 3#7

マンションが建ってるあたり、右のこんもり茂っているあたりも小高い丘になっていたようで、
昔は城内の砦があったところだったようです。右の茂みは現在は公園になっています。
今年の10月頭に初めて訪れましたが、なかなかの掘り出し物と満足しました。


PENTAX K-x / smc PENTAX-DA L 18-55mm F3.5-5.6 AL
SONY NEX-3 / E 30mm F3.5 MACRO、 E 16mm F2.8


テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

勝龍寺城跡 2
現在は勝龍寺城公園となっている勝龍寺城跡を外から眺めてみます。
北と東は元々の堀で囲まれていますが、南側の大手口があった方は狭い堀となっています。

勝龍寺城跡 2#1

この堀が元々あったものがそのままなのかどうかは不明ですが、
多分堀があって、大手門にも橋が架かっていたのでしょう。
南面から土塁の上に作られた城壁と銃眼のある土塀を眺めると、こんな感じです。

勝龍寺城跡 2#2

城壁と土塀越しに眺める城郭はこんな感じだったのでしょうね。
この建物は、公園整備の時に新たに建てられた管理棟で、内部に展示室や休憩所があります。

勝龍寺城跡 2#3

これが南面やや西寄りに設けられた大手口で、
橋を渡って鍵型に曲り、石段を上がって大手門を通る構造になっています。

勝龍寺城跡 2#4

これが橋を渡って90°左を向き、見上げて見る大手門です。
門越しの後方に見えるのは管理棟です。

勝龍寺城跡 2#5

門をくぐって中に入り、振り返るとこんな景色になります。
門の外、大手口の縄張りの中にトーテムポールのような石像がありますが、
その足元の石柵の上にちょこんと乗っかっているのが、先日可愛いお尻でご紹介した狛犬です。

勝龍寺城跡 2#6

南面の西端にはもう一つ門がありまして、こちらはスロープで直接城内とつながっています。
この構造から、城内で陣形を整えて戦に討って出る出陣門ではないかと思われます。
おそらく通常はこの門の外内に何重にも障害物が装備されていたのでしょう。

勝龍寺城跡 2#7


ここが現役の城であった当時には、今は宅地や公園になっていますが、
この西側の広い範囲が城内として縄張りされていたと推測されます。

南面の堀はこの通路の所で切れており、ここから西側に堀はありませんが、
小高い丘のようになっており、この西側には岩田丸などの城郭があったとのことで、
絶壁のような城壁で外から守られていたようです。


PENTAX K-x / smc PENTAX-DA L 18-55mm F3.5-5.6 AL


テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

勝龍寺城跡
先に細川家の至宝展の記事をアップしましたが、その細川家つながりで勝龍寺城跡に行ってきました。
元々10月の初めに訪れたのですが、その後追加取材で一度、そして今日3度目の訪問をしてきました。
この1ヶ月は週末になると雨天に祟られ、写真的にはイマイチなのですが、1ヶ月で秋がグッと深まっていました。

勝龍寺城跡#1

勝龍寺城は現在東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残していますが、
築城されたのが永禄11年(1568年)、紆余曲折があって廃城となったのが慶安2年(1649年)、
わずか80年余使われただけでずっと荒廃していたのを1992年(平成4年)に勝龍寺城公園として整備しました。
現況はいつの頃のものという具体的な復元ではありません。イメージとしての勝龍寺城の姿です。

城には3箇所の門から入れますが、ここは上の写真の堀の奥に見える北門であります。

勝龍寺城跡#2

勝龍寺城は、何と言っても細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても有名で、
現在の勝龍寺城公園も忠興・ガラシャ新婚時代の状況を模して復元されているようです。
天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が
勝龍寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたと伝わっています。

勝龍寺城跡#3

堀に面したところは外を石垣で固めた土塁が築かれており、銃眼のある土塀が巡らされています。

勝龍寺城跡#4

今日訪れると、木々の葉はすっかり秋めいて赤く、或いは黄色に色づいており、
時折降る雨の中で静かな秋の風情を見せていました。

勝龍寺城跡#5

勝龍寺城跡#6


本能寺の変の後、天王山の戦いで敗走した明智光秀がこの勝龍寺城に逃げ込み、
ここから更に大津坂本城に向かって敗走を続ける途中、小栗栖で討ち取られたという謂われがあり、
戦後処理の経緯で、ガラシャは離縁され幽閉されたので、悲劇のヒロインとしてファンも多く、
長岡京市では秋にガラシャ祭りを毎年開催しています。


PENTAX K-x / smc PENTAX-DA L 18-55mm F3.5-5.6 AL
SONY NEX-3 / E 30mm F3.5 MACRO


テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

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