一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
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竹本義太夫の墓
四天王寺の南門から出て、谷町筋の東側の筋を天王寺駅の方に歩きます。
四天王寺からの道程は上町台地から下ることになりますので、ずっと坂道を降りて行く感じになります。
四天王寺と天王寺駅の中間点くらいまできたところに、目指す超願寺がありました。

竹本義太夫の墓#1

超願寺は推古天皇3(595)年に聖徳太子が蘇我馬子の末子である慧観を住まわせた場所で、
慧観は太子から与えられた経論、仏舎利を納める三重塔を現在地に建てたと伝わっています。
幾度かの変遷を経た後、大東亜戦争の大阪大空襲で全て消失し、戦後再建されて現在に至っています。
元の姿ではないものの、果てしなく昔からあるという由緒あるお寺さんのようです。

さて、その超願寺に入ってみますと、右を向いても左を見ても、墓、墓、墓・・・・・
さほど広くない境内はお墓で埋め尽くされておりました。

竹本義太夫の墓#2

竹本義太夫の墓#3

その一画に一基だけ、墓石に屋根の掛かっているお墓がありました。
どうやらこれが竹本義太夫の墓のようです。

竹本義太夫の墓#4

竹本義太夫は、17世紀後半から18世紀初頭の江戸時代に活躍した義太夫節浄瑠璃の創始者です。
義太夫は大坂道頓堀に竹本座を開場して座本(興行責任者)となり、浄瑠璃語りを聴かせる常打座とし、
近松門左衛門の作品『世継曽我』『出世景清』『曽根崎心中』などを語って大当たりさせました。

フ~ン、あのおっちゃんの墓がこれかぁ、などと眺めていましたら、
スタスタとやってきたお婆ちゃんが手際よくお墓参りを済ませていらっしゃいました。
何となく目が合ったので、
「お婆ちゃん、天気悪いし、寒いのにえらいねぇ」と声をかけましたら、
「毎度の月参りやし、どうちゅうことないわ」と笑って帰られました。

竹本義太夫の墓#5

お婆ちゃんが帰ったら、また私一人で人気がなくなりました。
お寺の関係者もいらっしゃらないようで、何とも静かなところでありました。
入口近くに見える小さな梵鐘も普段はつかれることもないようで、
ひょっとしたら、出番があるのは大晦日の除夜の鐘だけかもしれません。

竹本義太夫の墓#6



SONY NEX-C3 / E 16mm F2.8


テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真

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