既に落花の舞になっているところも多いようです。
当地大阪では先週末、やっと満開となりました。
と言いましても、これでも平年より数日早い満開であります。
我が職場の前の歩道にある桜も絢爛と咲いてくれましたが、
まだまだ曇天では風も冷たく、この日も北寄りの風が時折吹いてきて、
まだコートが手放せない状況でありました。

元気に飛び回るはずのスズメも、風下で身体を寄せ合って膨らんでおりました。

三寒四温と言いますが、三寒の時には最低気温が5℃程度、最高気温が10℃ちょい、
四温の時には最低気温が12~3℃、最高気温が20℃を超えるといった塩梅で、
やたら寒かったり暖かかったり、この冬の後遺症を引きずっているようであります。
西側の住宅街に通じる参道もありました。 こちらが裏参道とでいうことでしょうか。
裏参道にしては立派ですね。
ひょっとしたら、こちらの方からお参りする人の方が多いのかもしれません。

裏参道には立派な狛犬が据えられていまして、
一番目は門番よろしく、来る者を首を回してにらんでいます。


二番目の関門は、今にも噛みつかんばかりにお尻をおったてて挟み撃ちにしていました。


二段構えの関所を無事通過したら、やっと天神さんの牛にお目通りがかないます。

狛犬も牛もなかなか立派な石像でありまして、とても上品な品格を感じました。
これらに特に奉納時期などの記載はありませんでしたが、
他に昭和10年代のものと見られるものがあり、大体その時期のものではないかと思われます。
SONY / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC

こちらはなかなかの由緒を持った神社でありまして、
応永年間(1394年 - 1428年)に北野天満宮の分霊を奉斎したと伝わっていますので、
600年ほども現在地にあることになります。 本殿は元禄15年(1702年)に造営されたもので、これも古い。



天神さんといえばモーモーさん、こちらにも立派な牛の石像がありました。

ここはそこそこ広い境内を持っていまして、恵比寿や稲荷などの社内社団地もありました。

よく清掃され、木立の心地よい天満宮を少し眺めてみることにします。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC
阪堺電気軌道モ161形電車は、阪堺で現役最古の車両であり、しかも、
日本において定期運用される電車としても、現役最古の車両であります。
1928年(昭和3年)に10両(161-170)、1931年(昭和6年)に6両(171-176)が製造されました。
現在、そのうち9両が現役営業車として残っています。
その172号車が恵美須町行きの電車として天神ノ森停留所にやってきました。

ここでの乗車はひとり、降車もひとりでありました。

発車した電車が、懐かしい吊掛モーターの音を響かせて踏切を通過して行きました。




161形は、古いものだと車齢85年を迎え、老朽化も気になるところ、
阪堺電車の運用の中でも特別丁寧に扱われています。
冷房化工事で機器を積むのは無理ということで、非冷房のままで走っていますので、
亜熱帯となる夏場にはさすがに走らせるわけにゆかず、原則秋冬春の3シーズン限定の営業走行となります。
6~9月の最高気温が30℃を超える日々には、まず車庫でお昼寝であります。
また、営業運転可能日でも、その日の調子で出番を調整しますので、特定の運用スジはないようです。
朝夕のラッシュ時や住吉大社の初詣特別輸送時など、車両数が逼迫する時間帯が主な活躍どきで、
夏場でも、検査などで冷房車の車両が不足する時に応援で出てくることもあります。
早朝や夜間、昼の閑散時などではあびこ道の車庫で休んでいることが多いですが、
お天気のいい日など、体調管理を兼ねて時折昼間に軽く走ることもあります。
また、161号は旧車仕様に復元された特別車両になっていますので、
現在では貸切や特別イベントの時に走行する別枠運用になっています。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC
恵美須町から7つ目、7分ほどの電車旅です。
阪堺電車の場合には旧軌道法という規格で敷設されていますので、正式には駅ではなく停留所と言います。
一般には駅の方が通りがよく、駅ということが多いです。

阪堺線の時刻表を見ますと、昔に比べて随分寂しい内容になっていますね。
この路線では、朝のラッシュダイヤというものがなくなってしまいました。
運賃を全線均一200円に値下げして頑張っているんですけどねぇ。

紆余曲折のあった1世紀に渡る長寿電車ですが、もっと元気で長生きして欲しいものです。

次のあびこ道行きの電車がやってきました。
せっかく停まってくれましたが、乗降客はありませんでした。

次の停留所を目指し、電車がモーター音を残して走って行きました。
ちなみに私が乗ってきた電車で、この停留所で降りたのは私ひとりでした。

反対方向の恵美須町行きのホームでは、乗車待ちの人、降車する人が居て、
そこそこの賑わいが見られました。 以前ならどの電車でもこれくらいの乗り降りがあったのですが。

私が何でこの停留所を訪れたかというと、何度も乗った阪堺電車の停留所の中で
この停留所が阪堺線の恵美須町-住吉間で一番寂しく感じていたからなんです。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC
四天王寺からは1Km未満、一心寺からは600m程の距離で、
ずっと下り坂ですから、歩くのに丁度良い距離です。
それにしても、恵美須町駅は寂れましたねぇ。
駅舎の上にある広告看板は殆ど消えて骨組みだけ、
以前は待ち合わせてよく利用した構内喫茶店も、シャッターが下りたままであります。

現在は日中1時間に5本、12分おきに発着するだけの閑散駅になってしまいましたが、
駅に近い踏切の警報音が聞こえてきて、その電車がやってきました。


この電車が折り返してあびこ道行きとなり、出て行きます。
ホームが3面、線路が2線ありますが、現在は線路1本だけで十分足りています。

この電車に乗って、ちょっと行きたいところまでチン電のプチ旅をします。
恵美須町を出た時、この電車の乗客は、私を入れて6人でありました。
かつては閑散時間帯でも、どの電車も座席が埋まる程度の客は乗っていたのですが。

阪堺電車は元々この阪堺線が本線で、恵美須町と浜寺駅前を結んでいました。
支線として上町線があり、天王寺駅前と住吉公園を結び、住吉駅で阪堺線に直通できるようになっています。
以前は、この阪堺線の電車が恵美須町から浜寺駅前まで直通し、
上町線の電車が天王寺駅前と住吉公園を結び、更に阪堺線に乗り入れて途中のあびこ道まで走っていました。
10年ほど前から天王寺駅前の客が恵美須町の客より圧倒的に多くなり、立場が全く逆転、
天王寺駅前から浜寺駅前まで直通する電車が走り、恵美須町からは途中のあびこ道までの区間運転になりました。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC

日中の気温も17℃程度まで上がりました。
TVを見ますと、ニュースなどで「満開だぁ」、「お花見だぁ」と大騒ぎしていますが、
これは東京キー局の身の回りの話であって、当地ではまだまだ蕾でありました。
九州四国や南紀などの早咲きの地方では、咲き始めから満開近しではありますが、
その気分ギャップにしらけておりました。
先週木曜のゴミ出しの日の朝、この定点観測点である近所のY字路にある絵描きさんの家の前に行きましたが、
あの桜の木はまだ蕾、開花まではもうちょっとかかるるかなぁという感じでした。
そこで、今日、「どうなってるかしら、咲き始めてるかな・・・」と行ってみました。
見頃にはまだまだですが、そろそろ咲き始めていましたので、一安心というところでした。

枝によって蕾ばかり、結構咲いているところとばらつきがありますが、
近寄ってみますと、これくらいの感じで観賞できました。

見たところ2分程度の咲き加減でしょうかしらね。
多分今週中には満開になるのではないかと思われます。

場所は当家から徒歩30歩の郵便ポストのあるところ、
このブログ読者にはお馴染みの私の試写ポイントであります。

実はこの画面左に写っている白いブロック塀のお宅、
私宅がここに引っ越してきた時に、ほぼ同時に入居されたこの住宅街最古参のお宅なんです。
こちらとは50年以上のおつきあいで、ここのお婆ちゃんと私の母親も仲がよく、
同年齢ということもあって、この住宅街で最後に生き残った母親の親しいお友達でもありました。
新興住宅地の入居当時、小中学生だった子供が既にアラカン世代になっていますから、仕方ないですね。
ここのお子さんが独立されて家を出、20年ほど前にご主人を亡くされてからはひとり暮らしでありました。
一昨年の4月にここで写真を撮った時、いつも早起きのここのお婆ちゃんがたまたま表に出てきて、
「今年もきれいに咲いたねぇ」などと私もお話をしていたのであります。
ところが一昨年の暮れ、突然体調を崩されて入院しました。
ですから、昨年の桜が咲いた時にこのお宅は無人でお留守、ご一緒に花を見られませんでした。
そして、そのまま、残念なことに昨年5月早々に鬼籍に入ってしまわれました。
ここのお婆ちゃんが亡くなって、私の母親もがっくり、
唯一の親友を亡くしてしまって一気に老け込んでしまいました。
このお宅も、息子さん、娘さんによれば土地家屋を処分する方向で検討中とか、
昨年右側の景色が変わってしまいましたが、今度は左側の景色も変わってしまいそうです。
今年の花見は何とも複雑な気分で迎えることになりました。
FUJIFILM FinePix F550EXR
古くは大阪と奈良~伊勢とを結ぶ「奈良街道・伊勢街道」と呼ばれていた幹線古道を概ねトレースしています。
奈良と四日市を結ぶ道は、9世紀に鈴鹿峠越えのルートが開かれるまで、近畿地方内で伊勢国と畿内とを繋ぐ
唯一の主要ルートとされており、壬申の乱で大海人皇子が東進したルートでもあります。
そんな由緒ある奈良街道沿いには古くから人が集まり、店舗が設けられ、
今でも昔日を彷彿とさせる店舗も国道沿いに残っています。
こちらは堺刃物屋さん、刃物鍛冶で栄えた自由都市堺伝統の刃物を扱っています。

この額縁屋さんは、多分昔から表装、軸装などを商ってこられたのでしょう。

さて、上町台地からの坂道を下りきったあたりで、ミナミの繁華街「新世界」の入口にやってきました。

新世界のニオイがしだした途端に、コテコテの大阪看板が出現してきます。

通天閣には恵美須町の交差点から商店街を通る道、ジャンジャン横丁から入って行く道、などなど、
何本かの到達ルートがありますが、この北側の国道25号から入る道が、一番近いのであります。

国道向かいのビルのガラス壁に映る通天閣も大きく見えます。

この日は特に用事もなかったので、新世界詣ではスルーすることにして、パスしました。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC
四天王寺は上町台地の南端に位置しますので、南、東、西の三方には急に下ってゆく地の利になります。
西に向かって国道25号線の下り坂を少し歩きますと、下った先の方に通天閣が見えてきます。
左手にチラリと見えるこんもりしたところは茶臼山になります。
大坂冬の陣、夏の陣で徳川・真田が陣取りで攻防を繰り広げた古戦場でもあります。

その茶臼山の北端に一心寺というお寺があります。
一心寺は四天王寺と遜色ない古さを誇る名刹ですが、
途中廃寺再興を経て、現在は浄土宗のお寺として栄えています。

一心寺と言ってピンとこなくても、人骨像のお寺と言えば「ああ・・・」と頷く方も多いでしょう。
山門とも言うべき所には人骨で造った仁王像が睨みを効かせておりまして、訪れる人の度肝を抜きます。


内部は一般的な参詣客の多い境内という感じで、さほど違和感を持ちません。
この日も善男善女が思い思いにお参りをされていました。


実はここには八代目市川團十郎の墓があるのですが、意外と知られていないようです。
大坂夏の陣の戦いで最前線に立ち、討ち死にした本多忠朝の墓所もあるんですよ。
徳川家康の本陣がここに置かれたこともあり、後に一心寺を厚く庇護したということです。

休憩所にある灰皿は、こんな格好をしていました。
やっぱりちょっと変わっているかも知れませんね・笑

この一心寺も浄土宗というものの、宗旨に関係なく参詣や納骨を受け入れる寺であります。
全国から多くの納骨が集まりますので、江戸時代末期に遺骨数万体を集めて
最初の大きな骨仏(阿弥陀仏)を作り、明治時代晩期からは10年ごとに集まった納骨で骨仏を作っています。
SONY α700 / SIGMA AF ZOOM 18-125mm F3.5-5.6 D DC