一里塚|シャシンとカメラのお板
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上伊集院11
九州汽車旅 35


朝から粘っていた線路際の撮影ポイントから上伊集院駅に引き上げてきました。
ここで何本かお目当ての列車を撮影して今日のところは終了とすることにします。
どうやら雨が本気で降ってくる空模様になってきまして、ホームもやってきた客車の屋根も濡れていました。

西鹿児島発東京行きの上りブルートレイン「はやぶさ」がやってきました。
どういうわけか、残念ながら列車愛称板がついていませんね・涙
せっかくの特急なのに時々このように看板のついてないことがあるんですよ。

(1) 九州汽車旅34#1

ブルートレインのリアビューは、やはりこの初代20系のが一番いい感じだと思います。
「はやぶさ」は交換待ち停車をすることなく低速でゆっくり駅を通過して走り去りました。

(2) 九州汽車旅34#2

「はやぶさ」は鹿児島本線を通るため、日豊本線経由の「富士」に踏破距離でほんの少し負けるものの
東京-西鹿児島間をほぼ1日かけて走っていました。
この写真を撮った当時は東京-長崎間の8両編成とこの8両編成を併結し、
鳥栖で分割併合していました。京阪神と結ぶ「あかつき」と同パターンでの運転です。


暫くしますと今度は下りの急行列車がやってきました。
この列車名は資料がないので確認できませんが、夜行で京阪神か東京から走ってきたのでしょう、
冷房付きの1等座席車と2等寝台車を連結していました。

(3) 九州汽車旅34#3

この列車も低速で駅を通過していきました。
ここから広木信号場までは別新線を敷設して複線化されましたので、
下り列車は運転停車の必要がありません。
列車は新線となった下り線を進み、トンネルに入ってゆきます。
トンネル入り口の右手に分かれて行く線路が単線時代の旧線、
複線化後は上り線となったルートです。
構内には既に電化に備えた準備工事で架線柱のコンックリート電柱が立ち並び始めています。

(4) 九州汽車旅34#4

ここに来るのが数ヶ月前なら、まだ新線は開通しておらず、盛んに単線の列車交換が行われ、
逆に数ヶ月遅かったら電化準備工事で架線柱が林立していたのではないかと思います。
先の切り通しで見たいい景色も電化と複線化で数年後には見違える光景になったでしょう。
私が訪れた時は、ちょうどその狭間の旧景と新景の両方が見られた微妙な過渡期でした。


1969.3.7 鹿児島本線 上伊集院駅
NIKOMAT FTN / NIKKOR-P Auto 105mm F2.5 / KODAK Tri-X Pan Microfine 10分


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コメント
この記事へのコメント
一時、ヘッドマークが盗難にあうということがありましたがその時代の端緒ですかね?
長距離急行で普通車が付いてるというかこれで旅するのが普通の時代がありました。
つい最近のように思い出すのが歳とった証拠ですね。
2010/08/14(土) 21:55:13 | URL | forester #2ukxmIo6[ 編集]
foresterさん、この頃はさすがにヘッドマーク盗難ということはなかったようですよ。
ただ、ヘッドマークの掲示は機関区の善意によって取り付けられることだったようで、
時々いろんな事情で取り付けられないことがありました。エラー事態ではありません。
長距離列車の座席車で10時間以上も乗り続けるのが普通にできた、というか、
そうせざるを得なかった時代ってのがありましたね。その時代に若かったのが幸いでしたな。
2010/08/14(土) 23:35:28 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
座席車で、仙台-青森なんて今考えると腰イデデなんて言わなかったのはやはり若さですねぇ~・・私も10時間は乗りっぱなしは無かったですよ・・汗
2010/08/15(日) 00:19:49 | URL | 亜哉 #6Rfj3HqM[ 編集]
亜哉さん、私の方が少し世代が古いので、結構経験がありますよ。
幼い頃東京のお爺さんの家に連れて行かれる時は、いつも夜行の座席車でした。
ボックス席で昼行10時間はオトナでもきついですが、夜行なら何とか・・・汗
いずれにしても若かったし、今みたいに恵まれた環境じゃないからできたんですね。
2010/08/15(日) 10:13:14 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
丸一日かけて走る列車は、上りと下りとあわせて4編成もあったってことでしょうか? それはそれで大変ですね。
私はあさかぜで東京まで行ったことがあります。確か小学校6年生ぐらいだったかな。電源車の音が好きでした。
2010/08/15(日) 11:22:43 | URL | jakartafe3 #.j2BAk02[ 編集]
fe3さん、丸1日かけて走る「はやぶさ」は往復で2本です。
「あかつき」は往復で4本ありましたが、これの始発は新大阪なので丸1日はかかりません。
それでも半日以上かかってますから相当なもんですね。
他に急行が何本か、これは東京には1日以上、京阪神にも1日近くかかっていました。
ブルトレの電源車の音、ちょいと低音で「ゴ~~~」とか「ブ~~~」とかいう連続した音が特徴的でしたね。
私は「あさかぜ」には乗ったことがないんですよ。アレは大阪に停まらんかったから。
2010/08/15(日) 11:48:56 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
上伊集院駅付近の画像を拝見しました
初めまして。
鹿児島本線無煙化前の様子を、興味深く拝見しました。
小生が鹿児島を訪れるようになったのは主に昭和46年以降で、日豊本線などの撮影がほとんどでしたので、ご紹介の光景は大変貴重なものに思いました。
さて、過日拙ブログ
http://lbxnydr.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-f055.html
で、上伊集院ー西鹿児島間にあった信号場の話題を取り上げました。
貴ブログの上伊集院駅構内の画像を拝見し、リンクさせていただきたく思いましたので、ご許可をいただきたい存じます。
ご検討のほどよろしくお願い申し上げます。
2019/04/30(火) 09:36:51 | URL | 3RT生 #-[ 編集]
3RT生さん、おはようございます。
また、当ブログの10年近く前の記事をご覧いただき、ご丁寧なコメントまでいただき、ありがとうございます。

この九州汽車旅の記事は、私が学生時代に思い切って旅した記録のネガを見つけ、まとめたものです。
ネガ1コマ毎に当時の記憶が鮮明に蘇り、自分の記憶の鮮明さに正直驚きました。
国鉄の無煙化と事業凋落が急激に進んだ時代の記録ですので、貴重感があると思い、公開しました。

3RT生さんのブログも拝見しました。 緻密な記録と分析に脱帽です。
私の広木信号場の記録も薄く、今だその全容が分からないでおりました。
当ブログとのリンク、喜んでお受けいたします。 光栄です。
伯備線の布原信号場、筑豊本線の冷水峠超え、日豊本線の青井岳駅、呉線など
隘路にある鉄路に特に興味を持ち、歩いた足跡をご覧いただければ幸いです。
2019/04/30(火) 10:15:27 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
MADAM様、こんにちは。

この度はリンクのご許可をいただき、誠にありがとうございます。
新しい記事を掲載しました。またご笑覧いただければ幸いです。
http://lbxnydr.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-76445f.html
布原も素晴らしい所です。当時岡山に住んでいましたが、小生が撮影に出かけることができる頃には、伯備の3重連はなくなっていました。駅や機関区に一日中いて、蒸機を眺めたり、ナンバープレートの拓本を採ったりして遊んでいて、あまり写真は残っていません。
こうして当時の画像を拝見できるとは大変有り難いことと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。
2019/04/30(火) 13:35:55 | URL | 3RT生 #-[ 編集]
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