そこに仲間と遊びに行った時の写真が出てきました。

伏見区桃山の丘陵地に豊臣秀吉が築き、落城後は徳川家康が修復した複数の城郭を総称して伏見城と言います。
結局1623年に伏見城は廃城となり、城址は丘陵として放置されていました。
その跡地に、昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドが開園し、天守閣も作られました。
しかし、歴史的考察で復元した伏見城ではなく、伏見城をモデルとした鉄筋コンクリート城郭モデルで、
あくまでも遊園地のモニュメント、模擬天守に歴史的や文化的な価値はありませんでした。
伏見桃山城キャッスルランドは集客が思うに任せず2003年に閉園しました。
その時に、解体は惜しいと言うことで、天守閣だけは京都市に無償譲渡されました。
しかし、現在の耐震基準や消防基準を満たしていないことから、内部は残念ながら非公開、
立ち入り禁止で近くにも行くこともできず、フェンス越しにその姿を見ることができるだけです。
何やらガワだけ保存されている万博公園の太陽の塔と似た境遇ですね。

この時は、入場料が惜しくて天守閣に登らず、眺めていただけでした。
そのうち来たらええわ、と思って軽くパスしたのですが、
今となってはあそこに登って眺望を楽しんでおけばよかった、と悔やまれます。
1975. 11. 27 京都 伏見城
CANON 7 / CANON S 50mm F1.4 (UV) / NEOPAN SS Microfine 21℃ 10分
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犬山・姫路・松本・彦根?は行った事があります。
そう言えば岐阜城(金華山)へ女房と行ったなぁ!36年前(笑)
泊ったのがナゴヤキャッスルホテルだった。
旧来工法の木質で建築するとなると、とてつもないコストアップになりますし、材木調達も至難でありますよ。
大阪城の場合は鉄筋コンクリート製でエレベーターまでありますが、内外感を元図どおりに再現しましたので、
特に違和感は感じませんよ。転落防止で網を張ってるのは、まぁ仕方ないかな。
なにかパキーンと張り付いたような・・・
へんな表現ですみません。(笑)
昭和40年代までの戦後レンズでは、カラーだと濃いニコンとあっさりキヤノンとよく言われましたが、
モノクロだと図太いけど繊細なトーンのニコンとはっきりクッキリキヤノンと言われており、
ファンも分かれてましたね。このようなすっきり晴れ渡った景色では、尖鋭感がいや増していい感じです。
特に空がしっかり写っていますよね。
この前キューバの写真では、最後の2本はムラが出来てこういう切れいな写真ができませんでした。現像液の撹拌が十分でなかったようです。
当時のネオパンSSは押し気味でたっぷり濃いめの仕上がりにするとすっきりしたネガが得られたのですが、
当時使っていたベルト式の現像タンクでは、巻き方と攪拌の仕方で現像ムラが出やすく、濃いめにあげると、
そのムラが見え易い諸刃の剣的な綱渡り処理でした。2枚目でも攪拌ムラと言うより巻きムラが出ています。
感じがしますね。私は直ぐにパターソンにして転倒式
に改めたので、こういうムラは120だけでした。
伏見城、存在を知りませんでした。外からは立派な
建物ですね。上の眺めは素晴らしかったでしょう。
当時、ナイコールのタンク1個でキングのベルト式タンクが10個買えるほど違いましたし、
LPLの金属リール式が出ても3~4倍の値段でした。薄給の身には辛い・泪
当時は車のガソリン代にたくさんつぎ込んでましたので。 (^^ゞ
伏見城は秀吉が目をつけたとおり、とても見晴らしのいいところで、背後は山科の山地ですが、
目の前の旧巨椋池とそこに流れる宇治川、木津川、鴨川、桂川が一望に望め、
合流して淀川になる地勢をすべて見ることができます。