その中で鉾と呼ばれる大きなものは、前記事でご紹介しました大船鉾のみで、
残りの9基は山と呼ばれる小型のもの、基本的には囃子方が乗らない飾り山なのですが、
山の中には囃子方が乗り込み、鉾と変わらない大きさのものもあります。
折角後祭の山鉾を拝見に来ましたので、残りの山も見ておきたいと思います。
大船鉾が組まれていたのは新町通四条を下がったところですが、
新町通を上がって四条通を越え、錦小路通を越えますと、蛸薬師通の手前で南観音山に出会います。

南観音山は天明の大火(1788年)で消失しましたが復興がなり、
囃子方の乗り込む大型の山として、そして、山全体を飾る見事な水引で有名な山であります。

さて、南観音山の横の細い隙間を抜け、
新町通を更に上がって蛸薬師通を越えるとすぐに北観音山がありました。

北観音山は、応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していました。
もとは舁き山だったのですが、後に曳き山になり、囃子方も乗り込んで祇園囃子を奏じます。
山の上には楊柳観音像と韋駄天立像を安置しますが、鉾ではないので真木の代わりに松の木を立てます。
巡行前には、渡り廊下を渡して一般の方に山の内部をご披露しています。

北観音山の横を抜け、新町通を更に上がって行き、
六角通を越えて三条通の手前に八幡山があります。

八幡山は小型の舁き山で、巡行の時には八幡山の麓に総金箔の美麗な小祠を置き、
華麗な水引や前垂れなどを飾った美しい姿で行進します。
舁き手は揃いの装束に陣笠姿になり、目を引きます。

この八幡山にカゴりませんが、祗園祭では各々の鉾町で山鉾銘のちまきや手ぬぐいなどを販売し、
山鉾の維持管理費の一助としています。 このお祭を続けてゆくためにも、できるだけ協力したいものです。

各鉾町では祗園祭の間、店舗や居宅の一部を開放し、
代々伝わる屏風や調度品、古友禅などを展示して、見物客の目を楽しませてくれます。

この新町通を四条下がるところから三条手前まで歩くだけで4基の山鉾を拝見できました。
祗園祭は7月いっぱいの1ヶ月間続きますので、巡行だけではなく、
巡行前の提灯で飾られた山鉾を拝見したり、展示される調度品を見て回ったり、
後祭と同日に開催される花笠巡行で花街のきれいどころを見たり、と、多くの楽しみがあります。
私のように宵山の、それも昼間に出かけてゆっくり山鉾を拝見して満足する、
それも祗園祭の楽しみ方の一つ、機会あれば是非お出かけいただきたいと思います。
ただし、梅雨明けの酷暑はまさに京の油照り、それだけはご覚悟下さいませ。
PENTAX K-3 / TAMRON SP AF 10-24mm F3.5-4.5 DiII LD [IF]
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夏休みの始まりとなりました。
私のお祭りは終わりました。
来年は見に行けるかな〜
有難すぎて目が潰れそうなものが触れる距離にビラビラ下がってますから、
嬉しいというか何というか、現場に経つと尋常ではないテンションになってしまいますよ。
全て自分で仕切る生活にもやっと慣れてきました。
子供の頃は親に、勤めてからは職場に、全て枠取りされていた生活でしたから、
楽といえば楽、そこから解き放たれると自由を謳歌できるかといえば、
人は大体グータラになるものだというのを感じています。
自分で自分を律してゆくことは、結構大変なんだなぁ、と・汗
京の祭はその中にどっぷり入らないと、その良さが体感できません。
酷暑の中、外人観光客も大汗で『暑い!』を連発しながら、
ハイテンションで浸ってらっしゃいますよ。是非浸りに来て下さい。
しかし、その中でも季節を楽しむ様々な催しは、流石に都があった都市の歴史ですね。先日写真を整理していたら、皆様と一緒に行った京都の写真が出てきました。フィルムはベルビアだったのかものすごい青空と日傘の集団に、あのときの暑さが蘇ってきました。
丸1日ご案内して回ると、熱射病1歩手前まで行きましたが、打ち上げのビールが美味い!・笑
オフ会経験では、平安神宮での38℃が最高かな、もうどうにでもしてって気分でした・爆
山鉾巡行の頃の空はまだ大気が不安定で靄っていますので、8月の突き抜けた空には遠く、
体感酷暑感はより強いかも知れませんね。今の京都を巡るのは、まさに修行です・泪
でも、観光客、特に外人さんはこれをも楽しんでハイテンション、舌を巻きます。