一里塚|シャシンとカメラのお板
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20年

20年#1
CANON EOS 1nRS / SIGMA AF 12-24mm F4.5-5.6 EX DG HSM / NEOPAN 400 PRESTO


20年前の今日、1995年1月17日の5:46に阪神淡路大震災が発生しました。
まだ夜明け前の寒い朝に突如襲った大激震で未曾有の大災害となってしまいました。

高槻の我家でも、家その物は無事だったものの、押し入れの襖を突き破って押入箪笥の抽斗が飛び出し、
家中のペンダントライトが暴れて粉々になり、家具や家財が各部屋の真ん中に集まって積もりました。
てっきり直近が震源地と感じたのですが、実は淡路島、それで神戸の断層が動いたことを後で知りました。

訳も分からず右往左往していた8時前、幸い停電が回復したのでTVをつけると、
見慣れた神戸や阪神地区の惨状がヘリからの実況画面で映し出されて愕然としました。
それから半月ほどで、何人かの友人・知人をなくしたことを新聞の被害者告知で知りました。
また、何ヶ月かかかって、被災したものの無事生き延びた友人・知人の消息も確認できました。

あれから20年、見た目はすっかり復興した神戸市街ですが、
以前ご紹介した鉄人28号広場のある新長田のように、街の姿が変わってしまったところも多々、
いまではその傷跡を確認できるところは、この写真にあるメリケン波止場跡の祈念モニュメントなど、
当時を保存したり碑を建てた場所くらいになってしまいました。

ここまで復興を成し遂げたことは喜ばしいところですが、街や建物などインフラはほぼきれいになったけれど、
20年歳を重ねた高齢者を中心に、あの時全てを失って生き延びた人は救い切れていません。
震災は過去のこと、復興が済んだ、とはまだ言い難く、長い道のりの途上とも言えます。

見た目はきれいになりましたが、この日が巡ってくると、つい昨日のことのように鮮明に思い出されるのです。
この気持は毎日の生活の中では薄まってきましたが、この日が巡ってくる度に一生残ってしまうでしょうね。



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テーマ:港の風景 - ジャンル:写真

コメント
この記事へのコメント
光陰矢の如しなのか、あの朝、起床時にTVで目にした光景はリアルタイムで起きていることと理解するのに10分くらい掛かりました。
次はいよいよ、コチラの番です・・・・
2015/01/17(土) 18:04:03 | URL | daddy #stKmQ4cU[ 編集]
阪神淡路大震災のあと、みんなが援助に駆けつけていた。
オイラは食べ物屋だったから、駆けつけても行った先で何にもできない。
そこで、2月14日・バレンタインの日・愛を告白する日だ。
この日の売り上げをすべて寄付するとチラシを入れた。
放送局も流してくれた。
いつもよりたくさんのお客さんが来てくれた。
売り上げは翌日赤十字に送金した。

震災の時の映像を見て
あのときのもどかしさを思い出した。


2015/01/17(土) 18:47:16 | URL | 會津 #-[ 編集]
daddyさん、あの時は現地に応援で入ろうにも全ての交通網がストップ、
緊急車両を通すために自家用車の乗り入れなんてもってのほか、
自転車かバイク、最悪徒歩で迂回しながらの難行苦行でしたね。
大阪港から船で神戸港に行くのが一番という状態でした。電話もなかなか通じないしね。
2015/01/17(土) 20:00:18 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
會津さん、あの時の全国からの支援の輪は、現地でも大きな力になりました。
寒い時期で、避難所やインフラ断の生活のために衣類や毛布、携帯カイロ、固形燃料が
特に喜ばれました。ウェット・ドライティッシュはいくらあっても足りないくらいでしたね。
普段なら何と言うことなく、すぐにできていたことが全然できないもどかしさは、
何とも言葉では言い表せません。
2015/01/17(土) 20:10:14 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
あの日は十三の独身寮にいました。
確か連休明けの日で、前日の夜、カイシャ行きたくないなぁなんて思いながらベッドに入ったら、あの揺れで起こされました。
かなり揺れたけど、あそこまでの惨事になっているとは知らず、「カイシャ休みになるといいなぁ」なんて呑気なことを考えたことを思い出します。
もう、20年ですか。復興が思ったより速かったように思いますが、仮設住宅で過ごされた方は、とても長い期間がかかったと感じられていることでしょうね。
2015/01/17(土) 21:44:39 | URL | keizo-f #-[ 編集]
keizo-fさん、あの規模の地震を経験する人は滅多になく、
経験しても多分一生に一度、せいぜい二度というところでしょう。
あの規模になると、揺れる前に地鳴りがするのに気付きました。
何か高架を走る電車の走行音のようなゴーという音がして、
1~2秒でいきなりドンッと突き上げられ、後はしっちゃかめっちゃかでした。
この地鳴りは本震の時と10日くらい後の大きな余震の時に経験しています。

この大震災が20年で節目と言われているのは、借り上げ復興住宅への
賃貸料助成が切れて一般賃貸者と同条件に戻されるからです。
当時着の身着のままで避難所→仮設住宅→復興住宅と移った多くの人が
無職の高齢者となり、年金収入があればそれがほぼ全て、
助成のない賃料を払えるわけはなく、路頭に迷うか生活保護を受けるか、
いずれにしても相当レベルを落とした住宅に移らざるを得ません。
また、コミュニティを一から構築するのは高齢者にはきつすぎますね。
これが20年経った被災地神戸に残っている一番の問題です。
2015/01/17(土) 22:07:57 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
あの激動の年から20年、もうそんなに経つのかと
感慨というか、驚きです。今もその影響が大きく
残っているのがつらいですね。
2015/01/18(日) 02:01:04 | URL | kan #mQop/nM.[ 編集]
kanさん、言い古された言い回しですが、早かったようでもあり長かったようでもあり・・・
今になっても残る問題は依然としてあり、被災当時に緊急性のトリアージで残された、
「後で考えよう」 と置いておかれたものが、より根の深い問題として残ってしまっています。
そのしわ寄せが、当時生活手段の全てを失った人、そして現在の高齢者にのしかかっているのです。
2015/01/18(日) 08:16:01 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
私は関東から出たことがないのですが、あの日は友達に電話で起こされて、すごいことになってるからテレビ観てみろと言われたのを覚えています。

2015/01/18(日) 16:22:40 | URL | おとにゃん #WOq6nlhY[ 編集]
おとにゃんさん、あの日の朝に時計代わりにTVを点けた人は、
いきなり飛び込んできたヘリからの空撮現場に腰を抜かしたとよく聞きます。
私は自宅の方にばかり気が行っていて、見た時には息を飲みました。
よく知る街並みがべたっと低くなって白く広がり、火の手がそこここで上がってましたのでね。
2015/01/18(日) 16:57:48 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
 今年も1・17と2・11連動して追悼集会が行われていました。東日本では、阪神淡路でのノウハウがなければ関連死で亡くなっられた方は、更に増えていたことでしょう。いまでも残念ながら増えていますが・・御支援に感謝致します。
 
2015/01/18(日) 17:42:20 | URL | 亜哉 #6Rfj3HqM[ 編集]
亜哉さん、阪神淡路大震災の時の対処では、関東大震災以来、
近現代初めての地震災害でしたから、関東大震災で学んだことの
更に上をゆく、それこそ想定外の多くの事態が発生しました。
東日本の時も、阪神の時に加え津波と原発が重なり、大混乱しました。
悲しい事実を一つづつ経験の知恵として積み重ね、次につなぐしかないのか、
そんな風に感じます。神戸のインフラはほぼ復興できましたが、
生活者の復興ができたとはまだまだ言い難いのです。
この課題は、そのまま東日本の復興にも重くのしかかるでしょう。
2015/01/18(日) 18:43:53 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
早いものですね・・もう20年ですか・・
この日のことは、凄く覚えています。
朝早くTVの速報が、流れ夜が明けてくるにつれ
物凄い被害に、ただ茫然とニュースを見ていました・・
被害にあわれた方々のご冥福をお祈りするしかできませんが、忘れては、いけないことですね。
2015/01/19(月) 17:29:46 | URL | nonakadesu #-[ 編集]
nonakaさん、私の感覚も「もう20年経ってしもうたか」ですね。
20年経っても、被災現場に行けば、例えその痕跡が消えていても、
震災前の姿が鮮明に思い出せますので、忘れることは、ないですね。
直接対峙した者なら、まずほとんどの人はそうでしょうが、
ニュースとして接した人にとっては年月が経てば経つほど記憶は薄れます。
この震災から得た教訓を、何とか次の減災につなげるようにと思っています。
2015/01/19(月) 18:11:27 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
私のところの三男は、今年二十歳になりました。

 生まれたばかりの三男に添い寝をしていましたが、テレビを見て愕然としたことを思い出します。

  震災の中で生まれた子がいたと聞き
  なんとも複雑でした。
2015/01/19(月) 18:22:20 | URL | higemajin #-[ 編集]
higemajinさん、そうなんですよ、あの年に生まれた子がもう成人、
そう思うと、20年経つってすごい時間が過ぎたんだなと感じます。
古老が嘆く「戦争知らんモンばっかりになってきた」の”戦争”を、
今から数十年後には”震災”にそのまま置き換えられるでしょうね。
2015/01/19(月) 19:42:50 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
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