一里塚|シャシンとカメラのお板
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安満遺跡説明会
以前から何度か当ブログでご紹介している拙宅近所の安満遺跡(京大農場近傍)の公開説明会があると案内が来ました。
歩いて5分もかからない場所だし、近隣住民への限定公開がセットされていましたので、行ってみることにしました。

安満遺跡説明会#1

ドン曇りの生憎のお天気でしたが、一般公開の混雑を避けるために出かけた次第です。

安満遺跡説明会#2

受付で入場手続をすると立派な説明パンフをくれました。
その一部をご紹介します。

安満遺跡説明会#3 安満遺跡説明会#4

安満遺跡(あまいせき)は弥生時代の前期から開けた遺跡で、住居や環濠、墓所、耕作地などの集落遺跡としては、
登呂遺跡などよりも起源が古く、おそらく確認できる最古の集落跡ではないかということでした。

元々は九州北部から東進してきた弥生人の一部が、大阪湾に辿り着き、更に淀川を遡ってこの地に着いたと考えられています。
この地を選んだのは、檜尾川(ひおがわ)旧流域の扇状地という肥沃な土壌で、耕作に適していたからだと推察されています。

当初住み着いた弥生人は数所帯と考えられていますが、
当時既にこのあたりに暮らしていた縄文人に水田耕作技術を伝え、融合して力を合わせて開墾し、
農業生産集落としての定住を成し遂げ、700年以上の長きにわたって繁栄したと考察されているそうです。

入口は今回公開区域の南西角に当たりますので、広大な遺跡の北東側、向こうの方、遙か彼方に見えます。

安満遺跡説明会#5

上の写真の左上に見えるのが、何度も皆さんにご紹介している移転退去中の京大演習農場の管理棟群で、
丁度そのあたりが最初にここに住み着いた弥生人の集落であったとみられています。

安満遺跡説明会#6

公開現場の中程まで進み、振り返りますとブルーシートに覆われた発掘中の後期水田跡が広がっています。
集落側から開墾が進んでいたのですが、約2500年前の檜尾川の大氾濫で水田の多くが失われたため、
砂礫で覆われた従来の水田を墓地などに転用し、その外側に新たに開墾を進め、水田を作ったということだそうです。

安満遺跡説明会#7

発掘された初期水田跡では係の方から詳しく説明がありました。

安満遺跡説明会#8 安満遺跡説明会#9

畦で区切られた水田はとても小さい区画で、効率が悪いように見えますが、
扇状地故の傾斜地のため、区画を小さくして平地を確保し、
棚田の要領で上から下に順に水を落としていったから、とのことでした。

また弥生時代は、原始共産主義とも言える共有社会だったので、
区割りによる地権や水利権で集落内で争うことはなかったから、
区割りは作業性優先で行われたからではないかと言われています。

初期の水田は氾濫土砂で覆われてしまった後、主に墓地とされたようで、
その場所には時代によって木棺や甕棺が据えられた跡が残っていました。

安満遺跡説明会#10

また、氾濫で埋まる直前に雨で泥濘んだ田圃を見回った当時の人々が、
泥濘を歩き回った足跡も発掘されていました。

しっかしまぁ、よくこんな崩れやすいと思われるものが残っていたもんですね。
偶に ”古代人類の足跡の化石” なんてのが見つかったりしてますが、
柔らかい田圃の粘土質土壌の上で、しかも土砂堆積が覆っているこのような痕跡を、よく見つけたものです。
丁寧な発掘調査をやっていることがよく分かります。

安満遺跡説明会#11 安満遺跡説明会#12

順路を周り、詳しい説明を聞いて出口まで戻ってきましたら、発掘された埋蔵物の一部が展示されていました。

安満遺跡説明会#13 安満遺跡説明会#14

弥生式土器や矢尻などの石器、、木製農具など、滅多に見られないものも拝見できました。
1時間あまりの現場見学でしたが、2~3千年前に同じ土地に暮らしていた先人たちに思いを馳せ、
暫し悠久の時の向こうを垣間見た気分になったのであります。


SONY NEX-6 / SONY LA-EA4 + SIGMA AF 18-125mm F3.5-5.6 D DC


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テーマ:遺跡 - ジャンル:写真

コメント
この記事へのコメント
素晴らしい場所ですね。
人の足跡が残っているとは・・・
驚きです。

 人の文化など精々 2-3000年 なのですね。
 もう少し共有する文化を模索する必要があるのかもしれませんね。
2015/06/28(日) 12:02:48 | URL | higemajin #-[ 編集]
higemajinさん、ここはかなり昔から知られた大規模遺跡でしたが、
本格的に発掘調査が行われるのは近年になってからのことなんです。
発掘現場を直接見るのは、高校生の頃に日本史教師に誘われて田能遺跡に行って以来です。
さすがに現場で復元された何千年前の生々しい姿に接するとドキドキしますね。
特にさっき歩いていたように見える足跡なんて、視線をあげるとそこに弥生人が・・・
そんな錯覚を起こしそうなくらい、2500年前の姿が浮かんでくる感覚でしたよ。
仰るように、地球の年期に比べれば、2千年や3千年前は一瞬前のことなのでしょう。
2015/06/28(日) 14:23:51 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
MADAMさんの処は今、我家で取ってる毎日の新聞小説に出てきますから毎日読んでます。(笑)

それ以前の弥生時代まで遡りますか!
2015/06/28(日) 21:34:51 | URL | forester #2ukxmIo6[ 編集]
foresterさん、毎日新聞は購読していないのでどんな小説か分かりませんが、
当地では信長や秀吉が本陣をしいたり、遡って藤原鎌足が出没したりと結構賑やかです。
歴史を紐解けば、有史以来100年に一度は歴史上の有名人が何かして顔を出します・笑
弥生人がここに居着いた以前から縄文人が活動していたようですので、
有史以前に千年単位で遡ってなにがしらの生活があったのでしょうね。
2015/06/28(日) 21:56:58 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
TVのNEWSで一度見て、あれMADAMさんのところじゃないかな?と思っていましたが、ビンゴですね。
 ご近所での現地説明会って、いろいろ役に立つんですよ・・津波堆積物なんかがあったら、そこまで到達していたということですから・・滝汗

 スポッティング感謝です。ベコベコ
2015/06/28(日) 22:53:51 | URL | 亜哉 #6Rfj3HqM[ 編集]
亜哉さん、おはようございます。
今朝は暫くぶりにすっきりと腫れ、乾燥しているのか朝のゴミ出しに行ったらブルッと来ました。
皮肉なものですね、この見学会のときにこのようにスカッと晴れてくれてたらなぁ、と思いましたよ。
この土地は縄文人、弥生人が拠点で住み着いた如く肥沃で災害にも遭いにくく、
一番の問題の檜尾川も流路が付け替えられて天井川になり、住むのに安心な地域です。
標高は20m余りでしょうか、大阪湾から20Kmくらい遡ったところにありますので、
さすがに津波には遭っていないようです・笑
2015/06/29(月) 07:19:02 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
これは立派かつ貴重な遺跡ですね。発掘も組織的
かつしっかり行っているのがわかります。
道路のために東日本最大と思われる古墳を削り
消してしまおうとする沼津市とは対照的です。
(沼津市・高雄山遺跡)
2015/06/29(月) 21:36:37 | URL | kan #mQop/nM.[ 編集]
kanさん、昔から存在は知っていましたが、現場で確認してみてその価値を再確認しました。
発掘作業はとても丁寧にされていますので、対象地域が広いこともあって時間がかかっています。
説明員のお一人が、どこがとは言いませんでしたが、大抵は高速道路などの開発事業で見つかり、
形だけ調査らしきものをして価値判断をしないまま削ってしまって取り返しがつかなくなる、
そんなところが多いのがとても悲しい、と仰っていました。
ここは大学退去後に元々スポーツ公園にしてスタジアムなどを作ろうという計画もあったのですが、
貴重な遺跡であることが分かったので自治体の管理下で自然公園とし、保存することで決着しました。
早めに民間開発や公共工事を一切止めたことが奏功したようですね。
高速道路のIC新設や取付道路、都市計画道路の工事などは、全てここを残すように変更されました。、
2015/06/29(月) 22:19:31 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
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