一里塚|シャシンとカメラのお板
日々撮りためた写真やお気に入りのカメラ、プチ薀蓄などをご紹介しています
202204 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>> 202206
訃報
 
 
           訃報#1


4月17日の早朝、突然の訃報が届き、JFC会の発足時からの中心メンバーであるkanさんが亡くなった、と・・・
kanさん(ここでは仲間うちの愛称でお呼びします)とは20年ほど前に私がJFC会に参加した時に知り合い、
同じ団塊世代(kanさんが私より1年上)という気安さもあり、以来なぜかウマが合って頻繁なやりとりをし、
kanさんの住む富士市と我が地大阪とは離れているものの、何度もご一緒して交流を深めていた人物です

JFCは Japan Family Camera の略称で、その昔、カメラが一家に一台で、家族や家庭行事の記録を残すため
”お父さんのカメラ” として活躍して輝いていた、所謂中級機というジャンルのカメラをシンボル化した意味を持ちます
俗に写真趣味というまでではないけれど、ちゃんと使われていた一般的なカメラにスポットライトを中てて再評価しよう、
というカメラ愛に溢れた人々が集う趣味集団で組織され、主にネットを通じて情報交換しています
ですので、メンバーは北海道から沖縄まで、中には海外在住の方まで、広く散らばっています

メンバーの多くはカメラをバラして組み立てたり、改造したり、ジャンクと言われる故障品を復活再生したり、
新たな機能を生み出したり、といったコレクターとは別次元の超マニアックな活動に目を輝かせています
そんなちょっと世間ズレしたというか、偏狭的なマニアの集団ですので、皆さんとても個性的、
特にkanさんはハンマーと金鋸でカメラ修理をすると言われるほどの豪腕マニアでありました
昔日の、調子の悪いテレビを叩いて直す感覚でしょうか・笑
でも、繊細な技術レベルも高く、時計修理のごとくシャッターなどの米粒大部品の修理もやってのけました

普段のメンバー間のやりとりはメールやそれぞれのHP、BLOG、掲示板などで行っており、
時には電話会話を楽しんだり、オフ会と称してこの指集れで気ままな人数で集まったりしています
そんな集団の中で、私とkanさんは比較的交流の頻度が高く、普段は通信手段でやりとりしますが、
時折思いついて 「会おうか!」 ということになって何度かの ”オフ会” を経験させていただきました

下の写真左は2007年6月に北海道のforesterさん、宮城の亜哉さん、静岡のkanさん、大阪の私の4人が、
『中間点で集まろうか』 「やっぱり東京かなぁ」 ということで東京集合した”4人オフ”の時のものです
この写真は、秋葉原駅近の喫煙コーナーで撮ったスナップ写真です
この当時、我ら団塊世代のオヤジ連中は揃ってヘビースモーカーでありました

訃報#2  訃報#3

右の写真は2010年の6月、静岡の清水港に集合した時の”清水オフ”で撮った記念写真です
この時集合したのがサムスルさん、kanさん、nonakaさん、FBCさん、ずんどこさんにつっちゃん、
みやっちさん、そして私の8人でありました
集合のきっかけは、海外赴任から帰国されたサムスルさんの歓迎会を兼ねて、ということでしたが、
サムスルさんの地元でもあり、kanさん、FBCさん、みやっちさんも近隣在住ということで、
清水港を中心に巡ろうという案ですんなり決まりました

トップの遺影写真に使ったkanさんの笑顔は、このオフん時に三保の松原に行き、
皆でワイワイと歓談しながら食事を摂った席で撮影したスナップ写真から切り出しました
普段はこのように大らかで朗らか、嬉しそうにした時の顔が似合う人でした
なおこの遺影写真は、ご葬儀の時に遺影写真としてお使いいただく、とのことでした

最近ではプライバシー保護で顔にボカシを入れるのが常識になっていますが、
今回の記事に限り、楽しげな表情を読み取っていただきたく、敢えて無修正でのアップとしました
実は、これらの写真を探し出すのが大変で、結構苦労しました
普段撮ってる立場の人は、撮られる立場に慣れておらず、レンズを向けると逃げがちになります
ということで、あれだけ常にカメラを持って会っていたのに、殆ど顔写真がありませんでした

このような楽しい機会がまたいつでも持てる、このコロナ禍が治まったらね、なんて話していたのですが、
突然それが叶わなくなり、思い出の記録写真があろうことか遺影写真になってしまいました
本来なら訃報記事、追悼記事ではもう少ししんみりと故人を偲ぶ内容になるべきでありましょうが、
私とkanさんの出会いから普段のおつきあいを思い返すと、楽しかったことばかりなのです
逝去された事実は誠に口惜しく、寂しい限りでありますが、こればかりは取り戻せません
団塊世代の仲間の早世を悼み、心からのご冥福を祈るばかりであります



関連記事
コメント
この記事へのコメント
突然の訃報にビックリしました。
私も何度かオフ会をご一緒した仲であり、いずれ詳しいことをお聞きしたいです。
2021/04/19(月) 08:59:54 | URL | HARIKYU #KULPigg6[ 編集]
HARIKYUさん、あれだけパワフルでイケイケだった人だけに、突然の訃報を聞いた皆さんは等しく驚かれたようです
縁浅からぬJFC会の皆さんには、当日中に会の掲示板に投稿すると同時に、一斉同報メールでお知らせしました
ところが、近年の活動低調もあって住所録メンテが為されておらず、約1/3が宛先消滅で不達でした・沈
実はHARIKYUさんとこも送信していたのですが、宛先エラーになってしまいましたよ・泪

実は昨年8月から日々日記ブログの更新が止まり、当然HP更新もなく、気力と体調の不良を心配していました
ご本人は『ちょっと休憩』みたいな感じで言葉を濁していたようですが、ずっと不調が続いていた模様です
なかなか弱音を吐かない人なので表には見せず、しんどかったんやろなぁ、と推測するしかありません
以前のように気軽にオフ会でもできていれば、ガス抜きもでき、仲間が気遣うこともできたと思いますが、
このコロナ禍の爆発の中、隔地移動するにも、面談するにも、○×警察が介入したり、後ろ指指されたり、
会うこと自体が反社行為と見做される逆効果、反ってストレスを溜めることになりませんからね
2021/04/19(月) 09:42:05 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
懐かしい写真が出てきましたね!当時、私は髭生やしていた時代でした。(-_-;)
今は生やしてませんよ。(笑)
当時、年数回東京へ行く機会があり、また石垣島周辺を撮影に歩いてたりしました。
島のお爺から鬚を生やすのは警官と軍人だけで俺は嫌い!と言われて剃りました。

同い年の仲間が亡くなるのは寂しいですね。

2021/04/19(月) 18:34:57 | URL | forester #-[ 編集]
そう言えばforesterさん、最初の頃がゴマ塩髭で、何時しか白髭になり、ある時から髭なしになりましたな
そうやって思い返すと、foresterさんとは何度もご一緒して、結構長いおつきあいになっていますね
毎年のように沖縄のシマ通いをしていましたが、近年はご卒業されましたご様子で・笑
同世代の友を失うと、なかなかに寂しいもんですよ
2021/04/19(月) 18:57:46 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
懐かしさでいっぱいです。レストアでの「チカラワザ」なんてありましたね。ホタルオフでは、米沢の上杉鷹山公の肖像画のところでは、どうみたってKanさんだよねという声があがっていました。肖像画のとなりで並んでくれる日がいつか来るかな?と思っていました。残念です・・合掌
2021/04/19(月) 22:26:15 | URL | 亜哉 #6Rfj3HqM[ 編集]
「チカラワザ」、、、この言葉を久しぶりに聞いて、レストアをよくやってた頃を思い出しましたよ、亜哉さん
マウント部にCRCをたらし、レンズとカメラを両手で握りしめ、
『そろそろ言うことを聞いてくれぃ』なんて言いながら全身の力を込めて格闘してましたね・爆
懐かしい作業では「CRCの一夜漬け」などなどのユニークテク多数ですが、最近は体力がついてこん・泪
鷹山の肖像画は思いつきませんでしたが・笑、今回のことでいろんなことが思い出されてしまいます
2021/04/20(火) 07:17:52 | URL | 管理人[MADAM] #.Q7UDCiU[ 編集]
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.