この土俵では子供相撲大会なんかが開かれるんでしょうかね、この日はひっそりしていましたが。
(1)

猪名野神社を後に北に向かいますと、西に六甲山系、北に能勢山系が迫る山裾風景になってきます。
市街から一段高いところの山裾に沿うように散策道が整備されていますので、
その散策道をくねくねと辿ることにします。
(2)

読者の皆さんは意外に思われるかもしれませんが、伊丹は西と北に向かって結構な傾斜地なんです。
散策道の右手は傾斜の下が市街地になっており、道はちょうど平地の二階建て家屋の屋根くらいの高さです。
そして左側はずっと勾配のきつい山肌だったのですが、3~40年前から住宅開発が進み、
市街地の延長線上の町の様相になってきています。
(3)

以前は傾斜地に住宅はなかったのですが、近年ではすぐ際まで住宅が建ってきて、
散策道の目の高さにこのような景色が飛び込んでくるようになりました。
(4)

国道171号に近くなるあたりは大阪空港(伊丹空港)の離陸コースになっており、
頭の上を離陸した飛行機が通過してゆきます。山に向かって北北西向きに離陸した飛行機は
この後高度を上げながら大きく左に旋回し、南に飛んでゆきます。
(5)

伊丹の酒造が発達したのは、この北部と西部の山系からの豊かな水が地下水となって供給され、
いわゆる宮水と呼ばれる酒に適した豊富な水資源があったからなのです。
MINOLTA X-70 / MC TELE ROKKOR-PF 100mm F2.5 / KODAK GOLD 400
とてもわかりやすくて良いレポートです。
以前時々やってましたが、敢えて使いにくい玉を1本だけにして何とか撮る、
こういう自縛企画ってのもやってみると結構楽しいです。次はこう攻めたいなんてアイデアが出たりして。
伊丹って空港のおかげか結構有名なんですが、地勢とか歴史とかは案外知られていないんですよね。
それとも、そういう土地だから空港用地として確保できたのでしょうか。
戦前に開港した頃は辺り一面田圃か原野という寒村でしたので、空港適地かと思います。
ちょうど阪急電車が走っていて大阪中心部への交通の便もよく、設置されたんでしょうね。
その後戦中は軍部に、戦後は米軍に接収され、1958年に民間開放されました。
1961年ころ、中学生になった私は札幌の祖父が羽田経由で帰るのを見送りに行きました。
タクシーで何もない野っ原の中の道を抜け、木造の掘立小屋みたいなターミナルに行き、
離陸する飛行機を地上で見送った記憶があります。
自動車専用道が通り、高速道が開通し、住宅開発で民家が迫ってきたのはその大分後です。
飛行場のそばに後から家を建てて、五月蠅いの危ないのと文句言うのがおかしいと思うのですけどね。
作品にある坂の散策路は、四季折々楽しめそうですね。
坂道で適度に負荷がかかり体に良いかもしれません。
Mさんには、カメラで、良い作品!
ラストの一枚の感じが好きです。
台地と川筋といった感じで、山が絡んでいるところっていうのはそんなにないですね。
いわゆる里山の環境というのは当地では恵まれていると感じます。
ゆるゆる坂でも起伏のあるところを歩くと結構効いてきますね。
まぁ歳相応に負荷をかけて適度の疲れを楽しんでいます。
京都、神戸、大阪、それぞれいい水に恵まれていますので、
食文化が発達した、京阪神地区はそう言っていいと思います。
ラストは「おっ、来た!」で撮りましたが、100mmでよかったのかどうか・・・
、平坦な土地だと思っていました。
いただいたジュピターだけで出撃しなくては!
伊丹の酒? 伊丹の水? 伊丹の山? 皆さん???になってしまうと思います・笑
ジュピターは使ってやって下さいよぉ、アタシはDEFINEXに乗り換えました。