歩いていて、自分の地元の写真をあまり撮っていないのに気付きまして、
ちょっと旧市街の方に足を踏み入れてみました。
自宅から枚方街道(国道170号線)を南下、産業道路(国道171号線)との交差点に来ました。
ここ八丁畷の交差点はは重要幹線の交差点で、平日昼間は渋滞の名所でもあります。
その交差点に架かる歩道橋の上から北の阪急電車の方に向かって撮っています。
このアングルの写角に入るところは昭和になってから開発された新市街になります。
我が家は前方の阪急6300系特急が走っている高架線の手前を右に入ったところです。
(1)

この交差点の南西方向が高槻市の旧市街になります。
旧城下町らしい東西南北方眼道路にクランクの入った道が通っています。
(2)

その道路を旧市街の方に入ってゆきますと、昔ながらの街並みが比較的よく残っています。
元々の旧市街は東西南北とも500mくらいの小さな範囲です。
このあたりの景色は私の中学生の頃とあまり変わっていません。
(3)

路地の奥にはこのような飯屋が今でも商売をしていました。
(4)

昔は人口数千人の旧城下町ですが、よくある国鉄が町の遙か外れに通り、そこに向かって市街が延び、
やがて阪急(新京阪)が開通して国鉄高槻駅と阪急高槻市駅を中心としたあたりに繁華街が移り、
戦後3万~5万人の町になりました。経済成長に伴い国鉄沿線にサンスターや明治製菓、
松下電工や湯浅電池などの誘致が進むとともに人口が急増し、昭和30年代後半で10万人、
そして昭和50年代前半には35万人の規模に急拡大しまして、新市街が一気に拡大しました。
以来人口が横ばい状態で推移しています。
昔撮った写真を出しますと田圃だらけなのに、最近の写真は住宅密集地というのが
よく分かっていただけると思います。典型的な大都市近郊ベッドタウンへの推移ですね。
FUJIFILM GA645 Professional / SUPER-EBC FUJINON 60mm F4 / AGFA APX100 ND-76 1:1 23℃ 7.5分
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我家も私が高校時代は田圃でしたがこんなに混んでません。
逆に空地・空家が目立ちます。人口減るばかり!昨日一人減(御通夜でした)。
私が現在地に住み着いた中学生頃には、今の町内の外側はみんな田圃で、
遅刻しそうなときは田圃を突っ切り、正月には田圃で凧揚げをしていました。
我が町内に限っては高齢化が進み、もはや限界集落の様相になっています。
周りに家はびっしり建て込んでしまってるんですけどね。
人がいなくて寂しい感じなのは、特に想像を膨らませながら・・
ヘタクソなので、絵には、できませんが、つい・・苦笑
ついついキョロキョロ見回して、思わずパシャッ・笑
出来は結構材料の善し悪しに掛かってるところがありますので、
いいところに出会いますと、実にラッキー、ルンルンですね。
サントリーの山崎工場・・街中にあるんだぁ~ってびっくりしましたもんね。
ベッドタウンの推移ですか、なるほどと感じます。
定点観測すると面白いものですね。
防災対策でそれなりに手が入って今風の通りになっていますが風情は感じますね。
サントリーの山崎醸造所も昔は山裾にポツンと孤高の美しさを誇っていたんですが、
ここ30年くらいで周りに新興住宅地が進出し、市街地みたいになってきました。
今では山腹の住宅から見下ろされる状態になってます。
元々交差点の左側には大きな個人のお屋敷があり、右側には交番がありました。
阪急の高架線路も地平で、踏切になっており、警手が忙しく遮断機操作をしていました。
道路幅もこの半分くらいでしたね。田圃が住宅地に変わる時のスピードは半端じゃなかったですよ。
ボーと歩いていると、犬に吼えられ飛び上がる事になりますから(笑)
そして細い路地の巾いっぱい、余裕で走れるワンコの鎖、意味ないやろ、それっ!